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「自由奔放な線/描くことは汚すことという教育/苦手意識と洗脳/褒賞で洗脳する」FDL Tips 12−5−1−3

自由奔放な線
人が自由奔放に線を描いたら描かれた線には色んな魅力が現れます。
イメージや計算、思想、考え、衝動や気分や体調、感情、その人の身体の大きさなど・・。
線をただの線として浅く見れば何も見えてきませんが、深く見れば無限に価値が噴き出すものです。

自由に絵を描くことは本来誰にでもできることです。
私は絵も文章と同じように皆が吐き出せるだけ吐き出せるようになった方がいいものだと考えています。

絵を描くということの本当の価値は社会で認識されていません。
皆が吐き出すように絵を描くようになれれば、絵はやっと社会に認知されるだろうと考えています。その日を夢見て画家としての活動を続けます。

自由に描くことは誰にでもできます。
決して特別な才能を持った人だけにできるものという訳ではありません。
難しいものではなく、誰にでもできる簡単なことです。
ですが自由に奔放に描くことは誰もしていません。
「絵の才能はないから」と言って絵を苦手として疎遠になる人の方が多いです。
評価しなければならないという誤解も自由には大きな弊害です。

描くことは汚すことという教育
絵をゴミみたいに考えている人たちがいます。
子供に絵を習わせたりアートに触れさせることを浮浪者を目指すことのように考える先生や親御さんもおられます。
皆が絵を描かなくなる最も多いタイミングは子供の頃に大人の振る舞いを覚える頃です。それからです。それ以前は、辺り構わず絵の具や、ソースや、ジュースや、石など使えるものはなんでも使って描きまくっていました。
当時の描くとは辺り構わず汚したり傷つけることと同じです。
それが楽しかった。

人類の悪い所
人類の悪い所は動物的な幼い時に躾けることが最優先になることは勿論ですが、動物的な面をいつでも開放できる間を設けない所です。間はトイレのように必要です。人類は未だに描いて良い広くて大きな場所を子供や大人達の為に用意していません。
人類は躾と引き換えに自由の場を与えるべきです。そうでなければフェアーな契約ではありません。
そして遊び道具となったり遊びの幅を広げるデッサンの技術を教えないことも人類の悪い所です。
人類は自由に絵が描ける広くて大きな場は物理的にも倫理的にも用意していません。
家に3m位のキャンバスを1枚置いておけば良いのです。
公園に10m位の壁と床を用意しておけば良いのです。
この時に完全に動物的な所を封じ込めてしまうことが幸福感とか、心などの色んな問題を招いていると考えます。
後は、エバ初号機とミッキーマウスを石膏像にしてデッサンを小学生からやればいいと思います。

美術館で御たいそうに選ばれた人しか飾れないような感じにしてしまっているから皆描かなくなるのです。


苦手意識と洗脳
線を引くだけのことを人間はとても困難なものに変えることができます。
躾以外にそれをやってしまうからタチが悪い。
楽に楽描きすれば良いだけのことをできなくさせる方法は簡単。
洗脳すれば良いのです。
洗脳は難しいようですが、それ程難しくはありません。
認識を変えたり、認識を与えれば良いのです。
それでたった1本の線が描けなくなります。
同様の手法で、歌を歌おうとしても声が出なくなったり、記憶できなくなるので勉強ができなくなったりさせることも可能です。
簡単に言えば冷やかせばいい。
私はこれを大問題だと感じています。
少しでも早く世の中に伝えなければと考えていることの1つです。

冷やかし
洗脳の中でも特に冷やかしのように苦手意識を与えるのは簡単です。
例えば私が生徒に下手だとか、下手で可哀想だとか、才能ないだとか言ってしまえば、いくらでも簡単に、秒で洗脳することはできます。
洗脳された人の多くは一生絵が苦手で、絵を自由奔放に描くことができなくなります。洗脳するのは簡単です。逆に洗脳を解くのが大変なのです。
私は日本人全員の洗脳を解こうと考えています。
私は美術予備校を運営していますが生徒全員に指導することの大半が学校の図画と美術教育による洗脳を解くことです。これが大仕事なのです。
本当に成績なんかつけないでくれよと思います。

日本では褒賞で洗脳する
日本人の線に対するこわばりを生む洗脳は褒賞によって行われます。
主に、学校の先生と美術館等が主催するコンクールによって洗脳は行われます。
洗脳によって刷り込まれるのは、恥の感覚です。
自分の絵は恥ずかしいものだという認識を先生やコンクールはすり込みます。
彼らの目的は生徒をコントロールし管理をスムーズに行なうためです。
ターゲットは強者と弱者です。

まず強者。
大多数の強者を図画工作ならびに美術によっていとも簡単に弱者に変えます。
大多数とは勉強が得意な人、スポーツが得意な人、音楽が得意な人、喧嘩が強い悪ガキ、クラスの中心的な人、日頃の素行が良い人など通常で弱みのない人達です。

そして、少数の弱者をいとも簡単に強者に変えます。
勉強も、スポーツも音楽も不得意で、発達障害などで強みのない人達です。昔の私はここに該当します。
強みのない彼らに強みを与えるのは簡単です。
一つは誉め殺し。そして数うちゃ当たるで手当たり次第コンクールに出品するのです。
ここで高揚した気分はその気になって美術系の学校。特に美術予備校に来た時に打ち崩されることになります。
元々メンタルも弱く、学習能力も低い、例えば昔の私のようなタイプは断崖絶壁を実力でよじ登らなければならなくなった窮地で地獄を味わうことになります。


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