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「この絵を描く時はドキドキする。絵を描くことはたまらなく楽しいのです」FDL tips 11−1

絵にはアカデミックな絵画、現代アートの絵画、アニメやイラストなどの色んな絵があります。
私の印象ですが、絵画の外の世界では絵を描く時にドキドキしている人は多いように思います。
私にとっての絵画の内側の世界、つまりアカデミックな絵画と現代アートでは絵を描く時に全くドキドキしていない人が多いように思います。脳神経の為に、つまり評価を得る為に絵を描いたりすることで血が通わなくなってしまい、無感動に絵を描くことが常識になっている人も少なくありません。脳神経で描くこと自体は否定しませんがそれは絵を描く本質とはかなりズレていると私は考えます。

このように皮肉めいた、ディスるようなことを言うのは本意ではありませんが、こうみえて現状を見ながら絵画の世界に入って30年間ネガティブな発言は一切せずに生きてきました。でも、残りの人生と、後の若い人達のことを思うとやはり1つでも多くの問題を解決しておくべきだと思い、膿を出すような意味で口を開くようになった次第です。

アカデミックな絵画と現代アートには膿があります。
そこを認めてから、絵画は、はじめてスタート地点に立てて、本当の力を発揮して「仕事」をはじめることができると考えます。
今の絵画がしている仕事は私は仕事とは思いません。
意味のない公募団体。芸大美大。画廊。美術館。市場。
私は美術予備校を経営していますが、生徒らに進めるのは就職です。就職なら芸大美大にも一般大に負けない大きなパフォーマンスがあります。

膿を出し切った先には、けして壊すことのできない絵の価値があります。
そこには長年温められていた、エネルギーがぎっしり詰まった種とでもいいましょうか、これからの若い人たちが夢や期待を大きく膨らませていける大事な芽が眠っています。

絵を描くことには理由があります。
理由は絵を描く時にあったり、絵を描いた後に生まれたりします。

絵を描く時にある絵を描く理由は、絵を描く時の緊張感。はたまた癒やし。はたまた感情を開放するなどがあります。

絵を描いた後にある絵を描く理由は、入試に合格したり、コンクールに受賞したり、作品が売れたり、歴史を一歩前に進めたりするなどがあります。私の場合は絵画の問題解決に1歩近づくこと。

今回の絵を描く理由は色々ありますが、今日はその中の「絵を描く時にドキドキする」ことについてお話します。

今回の作品のドキドキは塗り潰さないドキドキです。
本当に一瞬油断しただけで塗り潰してしまいます。

潰してはならない所を潰してしまうのです。

今回の作品は線を描きます。
線を描くといっても、黒い絵の具でキャンバスの白を残しながら1mm以下の白い線を作っていきます。
つまり、黒い絵の具で2つの面を塗り、2つの面と面の間を白く残すのです。

白く残す隙間、つまり線の幅は1mmよりも細いくらい。キャンバスの縫い目程度から離れてみると見えなくなるくらいの細さでいいと思います。
線の幅を決める際に「拘る」のは、頭にあってモチベートするのは、実際には定規で測るような「線の細さ」ではありません。
線を塗り残す際に、少しずつ細く詰めていって、自分の限界の細さに来て、更に細くしようとすると、自分に色んな現象が起きます。モチベーションはそこにあります。詰めていって限界が来る。そこからが今回の絵の醍醐味。zoonに入ります。それまでは通過儀礼。zoonに入ることが大事なので描き方はなんでも構いません。

zoonに入ってからが今回の絵を描いていて楽しい時。
今回の絵を描く理由、絵を描く時のドキドキです。

世界に通用する高度な技芸は誰にでも描けるようになります。
そもそも絵画の世界にある技法の殆どが誰でもできるものです。
才能は一切関係ありません。

黒い色の面と面の間にキャンバスの白い隙間をわずかに残して線を作る。これを徹底すればいくらでも細い線は作れます。これは線を直接加筆する方法よりも細い線を表現するのであれば有効です。それだけでも世界に通用する技芸と言えそうですが、しかしそれだけでは心がないので世界に通用するとは言えません。

世界に通用する技芸を身につけるには、全身全霊でそのことを楽しむこと。そして世界中がそれに興味関心を持つこと。そのような状況の中で比較し、最高の技術と誰もが認める結果を出さなければなりません。
世界に通用する技芸とは見る側も描く側も、面白いという感動が確かに実感できると認識できて、初めて認められるものなのです。なのでまず、面白さを実感する所から始めなければならない。つまりこの面白さがある技芸が世界に流る技芸、世界に通用するということになります。

人間の視力、指先の神経、筋肉には予め各々が想定する限界点があります。
それはこれまでの経験上脊髄反射的に出来るようになっている動作の限界点です。
でもその限界点は本当の神経、筋肉、脳の限界を意味しているわけでは有りません。
その先があるのです。
人間の感覚は未だ経験をしていない領域に踏み込んだ時に普段開くことのない機能の扉が開きます。私がその際に感じるのは「ゆらぎ」。
脳がグラグラとゆらぎます。
その中で慎重に手を進めていく。
たまにしくじる時、おもわず「アッ」と声がもれるのです。
それが又たまらなく楽しい。

この絵を描く時はドキドキするのです。

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