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答えはいつも自分の中にある

人生は選択肢の連続である。

シェイクスピア


まさにその通りだ。
無論、生まれてくることと死ぬことに関しては選択できないが。

感覚的に選択したように思えることも自分の中に蓄積された経験などからその状況に「最も適しているという自分なりのものさし」で瞬間的に図られそれらは選択されている。

僕はこの感覚的に選んでいるということが比較的多い方だ。
ただ「蓄積された経験」なんて生意気に言えたもんじゃない。
要するに論理的ではないということだ。
ただ「こっちの方がカッコいいから」とか「こっちの方がワクワクしそう」だとかこんな調子なんだが、その中でも最も多い感覚的な決め方が「こっちの方が誰も選択しなさそう」という超ド級のワイルドチャレンジャー的選択なのだ。
ただやっぱり最後のところで自分の奥底では「こうなってこうなるんだろうな」というイメージというか考えはあったりする。

何しかこの超ド級ワイルドチャレンジャー的選択が目に見えるなんらかのカタチで最高の結果に繋がったなと実感出来たことは実はこの25年でほとんどない。
ただ自分の中では常に正解だったんだと思うことが出来ている。
この理由は2つあって2つとも至ってシンプルな理由だ。
1つは自分の選択に全く疑いを持っていないということ。要するに選んだ道を全力で生きるということだ。(これが案外難しいらしい)
もう1つは選択した道がどんなに苦しい道であろうと常に選んだその道で「何か」を見つけることが出来ることを知っているからである。
結局のところ選択の連続ということはいずれどちらかの道にぶち当たるということなんだからそこまで考える必要はないのだ。
考える必要はないというのは語弊を生むかもしれないので補足を付け加えると選んだ道中でグダグダ考えずとにかく突き進めという事だ。

ざっくりこんな感じで人生の選択肢はある、厳しい道はいつか来る

この「何かを見つける」という事が大切なのだが、苦しい道を歩いている時にただ突き進むだけでは全く意味がない。

「何か」を探しながら突き進むこと

この「何か」が人生というリアルゲームの中に隠されたとんでもない超スーパーアルティメットレアアイテムだったりするのだ。
ただし、間違ってはいけないのがコイツは単体であまり活躍しないということ。
当たり前だ。苦しい道を歩いて超スーパーアルティメットレアアイテムを見つけたから「人生ゴール」が決まればたまったもんじゃない。
こいつはパーツとしてハマった瞬間にもの凄いエネルギーを発するアイテムなのだ。

こんな感じで歩いていくとまた知恵がついてきて他人が切り開いた道を歩いてみようと考えることも出来るようになったり次の誰かの為にこの苦しい道を切り開いておいてあげようという考えることも出来るようになるのだ。

結局のところ「自分は何がしたいのか?」「どうなりたいのか?」さえ明確に分かっていれば人生に迷うことはない。



自分の人生について真剣に考え、迷うこと程素晴らしい事なんてない。


自分の人生だ。
やりたいようにやればいい。
生きたいように生きればいい。

答えはいつも自分の中にある。


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