見出し画像

「自分って甘いな〜」と思う瞬間

この「自分って甘いな〜」と思う瞬間が無くなるのかどうかは正直わからない。
というのも感覚的なところを指しているからである。

そもそもこの感覚自体を「甘い」と思うことすら間違っているのかもしれないのだが、ストイックな僕は少なくともそう捉えてしまう。

イタリアに腰をおろして7年が経ったのだがイタリア人の友人と遊んだり、イタリア人と仕事をしている時に「んっ?」と日本人的感覚のせいで引っ掛かる事が未だにある。

何が言いたいのかというと僕の感覚がずっと日本人のままなのだ。
そのために「なんでイタリア人ってこうなんだ…」とか「まぁアイツはイタリア人だから仕方ないか」と思ってしまうのだ。
一種の人種差別に当たるんではないかと考えることもなくもない。
今では随分と少なくはなったが彼女にも同じように思う事が未だにあり、僕はこの感覚を「甘いな〜」と感じてしまうのだ。

根本的なところで言えば僕は日本人なのでイタリア人になりきることなんて別に必要ないのだが、感覚的なところは自然な流れに身を任せたいのだ。

少し脱線するのだがこうやって文字に起こして言語化してみるとこの「感覚」を伝えることがいかに難しいのかを実感していてこんな記事を書こうと思った自分に腹を立てながら進めていく。

話を戻す。
とにかく日本人的感覚が有る限りこの流れに逆らいながら生きなければいけないので呼吸困難に陥るのではないのかと思うくらいたまに息苦しくなることがある。

ここで一旦7年前に僕がイタリアに来てからの感覚の移り変わりを見てみよう。

【自分の意見が相手に伝わっていない時】
第1フェーズ)あ、そっか!もっとイタリア語を勉強しないとな!
第2フェーズ)これはこの伝え方じゃ伝わらないんだ!
第3フェーズ)え?これわからんの?
第4フェーズ)アホやん。
第5フェーズ)どうやって伝えよう?
第6フェーズ)あぁイタリア人やしもう無理や。

こんな感じで7年を過ごしてきた。
第1フェーズと第2フェーズでおそらく言語的なところのベースを習得し、第3フェーズと第4フェーズで少し舞い上がり、第5フェーズでイタリア人に理解してもらうための努力をし尽くして第6フェーズが今、という感じなのだがこれが今、第7フェーズに突入しかけているのだ。

第1フェーズ〜第6フェーズを見てもらうとわかるのだが常に対「イタリア人」として捉えているのだ。これだと呼吸困難になるのもイメージし易いのではないか?
ただ今回突入しかけている第7フェーズはどうやらこの対「イタリア人」をやっと対「人」として捉える段階っぽいのだ。

とは言ってもこんなことを考えて書いている時点で僕の日本人的感覚が無くなる事は恐らくないだろうが…

これって自分に甘いんですかね?

兎にも角にも第7フェーズに突入していく2022年は一段と面白くなりそうだ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?