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物事の本質

「この物事の本質は一体何なのか?」

僕は自分自身にかなりこの質問をする。
それは「本質」を捉えていなければ今しなければいけないことが見えてこないからである。ここを無視すると一生懸命している事も無意味だったりする。
初めはそれでもいいのかもしれない。
一生懸命している事が無意味だったということに気付き「なぜ無意味だったのか?」と考える。そうして本質を捉えていなかったことに気付き、より注意深くなり、それが習慣化する。

僕はこの「物事の本質を捉える」事がそこまで上手い訳ではない。
「上手い」という表現があっているのかはわからないが頭で考えるだけで本質を捉える事が苦手だ。一度ペーパーに書き出し、それをまとめていってようやく見えてくるイメージである。
今までは頭に浮かんだことに対して動きまくっていたのだが全く本質からかけ離れたことをしていた時もあれば、それがミスに繋がったこともある。

これは人間関係に精通しているのではないかと僕は思う。
「話を聞いて答えを返す」
ただ答えを返すのではなく話を聞き、一度噛み砕いて飲み込み、自分の経験などから導かれる考えや意見を相手に伝えるのだ。
いわゆる「コミュ力」だ。
よく使われるこのコミュ力だがこれは決して知らない人の中に紛れて片っ端から全員に話しかけていく能力ではなく相手の話を理解する能力のことを指す。
このコミュ力が高い人ほど物事の本質を捉える事が非常に上手いのだと僕は思う。

コミュ力が高い人は物事を「抽象化」することに長けているのである。
一方でコミュ力が低い人は物事を無意識に「具体化」してしまう。

物事の「具体化」とは装飾品のようなもの。
抽象化も出来ていないまま具体化などしても結局「何をしているのか?」、「何がしたいのか?」、「何をすべきなのか?」が分からなくなる。
ちょうど明日がクリスマスイブなのでクリスマスツリーを例えにするが、ツリーを買っていないのにツリーの飾りを爆買いしても無意味である。
「抽象化」と「具体化」の違いとは単純にそういう事だ。

「本質を捉える」ということは非常にシンプルなことなのだが世の中の全ての人がこれを単純に、まるで息をするように出来るという人はそう多くはない。
僕は地頭が特別いいわけでもなければ、圧倒的な経験値があるわけでもない。
ただ、18歳から異国で生き抜く為に色々な試行錯誤をしてきたからこそようやくそれが出来るようになってきた。
本質を捉える事が上手ではない人からするとこの作業って面倒だし、時間もかかる…
でも豊かな人生にする為には必要不可欠な作業なのである。
人間関係も上手くいくようになり、仕事も上手くいくようになるだろう。
そして何より自分自身が人としてより深みを増していくだろう。


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