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メンタルを鍛える

この世に性を受けた時から死ぬ時まで僕たちが最もリスペクトしなければならないのは上司でもなく、先輩でも取引先でもない。


自分自身だ。


頭と身体を常にリスペクトし、集中して彼らの声に耳を傾けなければならない。

これを無視していると気付かないうちに自分で自分を潰すことに繋がるのだ。


かといってそんなことばかり言っていると仕事も出来なくなるし、人と上手く付き合うことが出来なくなる。

何事も「過ぎ」はよくないのだ。


という事を前提に、僕が最も大切にしている事、それは頭。

所謂「メンタル」の部分である。


「肉体的疲労」により身体が極限までキツい時にはゆっくりと休養を取ることもあるが多少の無理が効く為、無視することは多々ある。

反対に、「精神的疲労」に対しては絶対に無視しない。


精神的疲労ほど怖いものはない。


これを無視して無理をすると「人生の意味」を見失ってしまう。

勿論ここで言う「人生の意味」とは個人的な目標などから個人差があるのだが

人生を生きている人と人生をただ漠然と生きている人の違いはここにあると感じる。


僕は必ず1日1回、どれだけ忙しくても最低1時間はメンタルを鍛える時間を設けている。

メンタルを鍛えるというのは決して「厳しい事をする」という事ではない。

例えば公園で昼寝をすることもメンタルを鍛えるうちの1つだ。


言い換えるなら「心に余裕を創り出す」といったところだろうか?

この小さな積み重ねが日々のここ一番集中力に繋がるのだ。

集中力をゴムで表すと分かりやすい。

常に張った状態だと力はそこまで出ないしゴムは伸びる。

これがメンタルが疲弊している状態。

一方でゴムを常に緩ませた状態でいれば一瞬の集中に爆発的なパワーを発揮する出来、ゴムも伸びない。

これが理想的な状態。

ここに身体のコンディションを足し算していくと全体的なパフォーマンスに繋がる。


肉体的疲労からの精神的疲労にはなかなか繋がらないが、

精神的疲労からの肉体的疲労は顕著に出る。加えてその疲労感は強烈にキツい。


僕は非常に繊細な人間である為、この作業を怠ると感情の起伏が非常に不安定になる。

だから集中して本気でメンタルを鍛えている。


そんな中、週イチで頭と身体を同時に虐める日がある。

それが月曜日の朝だ。

僕はジムに通っているのだがこの日は唯一、外でトレーニングをする。

前回の記事で「限界トレーニング」の事に少し触れたのだがそのトレーニングが毎月曜日に行われる。


ハッキリ言って


「マジでキツい。」


奇声を発する鬼畜アジア人がこの限界トレーニングを設ける理由。

それは

困難に真正面から突進していく力を養う

為である。


身体は「キツい」、「もう限界だ」と言い、

頭は「辛い」、「もうやめたい」と言う。

それらを完全にシャットダウンし、自分をぶっ潰しにかかる。


トレーニングが終わると達成感からカラダがフワッと軽くなり、同時にエネルギーが溢れ出してくる。


それが気持ちいい。


もはや一種の中毒みたいなものだ。


結局のところ、

限界トレーニングがないとただメンタルに甘えるだけのクソ野郎になってしまう。

それが目に見えているから週イチで自分を本気で壊しにかからないといけないのだ。

月曜日の朝さえ過ぎ去れば、常に心の何処かに余裕がある。

それが他人をリスペクトすることに繋がるのだ。


家族、上司、先輩、取引先。

全員に対して常にリスペクトだ。

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