新しい友人
本日は自然に6時に起床。
自分でもなぜかわからないが、昨日記した同期のパートナーが出産したことがなぜか自分も嬉しい気持ちで1日を送ることができた。
自然に他人の幸せが自分も幸せに感じることが出来始めているのかもしれない
また、今日は今までで初めてくらいの大胸筋の筋肉痛を感じることが出来た。
やはり、自分にあった、やり方が1番成果が出やすいのであろう
ここで悩むのが
他人のやり方に古溪流のアドバイスをして、実践してもらう
という方法は
果たして、その人に合ったやり方になり得るのか?
ということである。
上記に関しては何も、自分のやり方を他人に押し付けたいというエゴはさらさらなくて
こうやった方が、絶対もっとうまくいくよ!
という善心から来ているのだが、、、
例えば、実践してもらって、上手くいったよとフィードバックがあれば、その後も自分もその人と共に切磋琢磨していこうと思えるが、ノーリアクションだと
やり方の押し付けは良くないけど、もっとこうしたらうまくいくのに、、、
というもやもやした感覚になる。
少なくとも、自分は他人のうまくいっているやり方を教えて欲しいし、もはや押し付けてもらって構わない。
それを自分で試してみて合わなければやらなくて良いだけだし。
大切なのは
このやり方は〜〜理由で自分には合わなかったよ!
と相手に伝えることか。
そうすれば、相手もモヤモヤしなくて済むし、自分もすっきりする。
今、このNoteを書いて気づくことが出来た。
話は変わるが、アルケミスト読んだことが本当に自分にとって大きい。
自分の「こころ」と友達になる
これが出来た。文面だけだと、何かカルトにでもはまったと思われてしまうかもしれないが、本当に出来た。
わかりやすく表現すれば
自分の体の中に「こころ」という生き物が生きている感覚だ(ペット的な?)
この「こころ」が自分にとってアルケミストであり、導いてくれる存在だと思う。
先輩にこの感覚のこと話してみよう。
今日の進歩
曹洞宗は〇〇を信じれば救われる的な宗教ではない。そのため元来、布教向きではない文化である。しかし寺檀制度によって偶然?に広まっただけなのである
↑
これがチャンス。もともと何かを信じるような宗教観が強い宗教ではないから、これからの現代人にとって宗教観の強くないということが逆に強みになるはずだ。
端的に言えば
曹洞宗は無印良品みたいなものだ
無印良品はブランドやロゴとかはなくて、あくまで必要なものだけ。
だからこそ、人々に受け入れられている理由であろう。
無印良品的な自己主張がない(宗教観が強くない)ということが曹洞宗の価値
人々は派手なブランド志向→環境に配慮した自分にとって必要な質の良いもの
に価値感はシフトしている。
だからこそチャンスだ。
これを気づけたのが自分の中の「こころ」が教えてくれた。本当に。
神はいつも近くにいる。夢を実現しようとするものの近くに。
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