自分の伸び代を自分が1番信じる

7時過ぎに起床。過去のNoteに負け癖を作らないと記したが、本日はそれを実践できていた。
6時起床ができない=負け
その後ラン実施=勝ち
15分昼寝のつもりが1時間の昼寝=負け
筋トレ実施=勝ち

なんとか耐えた1日である。このように完全な『負け日』を作らないことことを積み重ねていくことが、後に大きな差となる。

にしても今日は、寺院関連の勉強に身が入らなかった(厳密にいうと昨日から?)
原因は1つ

もう勉強するのではなく、行動したい

思いが非常に強い。このまま勉強を続けていてもなんら状況は変わらない。
そのような潜在意識の現れであると思う。

その代わりに自分史を振り返ることを実施した。
思えば、自分の今まで25年の人生よく、のらりくらりここまで来れたことに驚いた。なぜなら、自分はゆくゆくは実家を継がなくてはならないと思っているのに、なぜ勉強をして良い高校や大学入ろうとして、良い企業に入ろうとモチベーションを保てたのか、全く理解できない。勉強なんかせずに仏教系の大学に行って即修行に行けば良いのにである。わかりやすく言えば

夢がないのに、周りがやっているからという理由のみでここまできた

のである。それでも自分で腑に落ちるのは

夢もなく中途半端に過ごしてきたから、入った大学も企業も絶妙に中途半端なのである

最近、勉強していると優れた学生や、サラリーマンや経営者に共通していることは必ず『成し遂げたい夢』がある。

逆に考えると夢もなく、ただ漫然と過ごしてきた人生ですら、中途半端な経歴ではあるが1人で不自由なく自立して生きていけるレベルになっている。

それならば『夢』というゴールを持った今の自分は、過去の中途半端な自分ではない。

自分の伸び代を自分が一番信じている。


話は変わるが、最近、SNSが原因で悲しい出来事があったそうだ。
人の言葉にはそれほど凶器になりうるのである。
そもそもSNSという空間で叩くという行為をしてしまうその人も日常生活に心の余裕がないのであろう。(擁護するつもりは断じてありません)
恐らく叩いている時の自分ってまさに「理性がない動物状態」であろう。
自分が生きている・生かされているという感覚があれば、このようなことは起きないはず。

国民が心に余裕を持てるような日本にするためにCJCはある

今日の進歩

森岡剛さんの「確率思考の戦略論」にて

ビジネスの経営資源配分先
=Preference(好意度) or Awareness(認知) or Distribution(配荷)

この3つに集約されるというのは目から鱗であった。
CJCはこの3つともゼロだから伸び代しかない訳であるが、確かに迷ったらこの3つのどれかに該当するのかと立ち返れば良い。

それにしてもマーケティングとは面白いものだ。

そしてもう1つの進歩は父親にキーマンへの面談調整をしてもらうよう依頼した(まだ返信は来ていない)
勉強に身が入らない=負け
初めての対外に向けた行動に向けたアクション=勝ち

である。徐々に対外に向けて活動が動き始める。

『しつこく』

を信条に、諦めず粘り強くやり抜こう。

戦略とは『つくる』のではなく『探す』のである




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