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07: 先生 せんせい! って呼ばれたくない?!

加藤隆弘(かとう・ たかひろ)
九州大学大学院医学研究院精神病態医学 准教授
(分子細胞研究室・グループ長)
九州大学病院 気分障害ひきこもり外来・主宰
医学博士・精神分析家

『みんなのひきこもり』(木立の文庫, 2020年)
『メンタルヘルスファーストエイド』(編著: 創元社, 2021年)
『北山理論の発見』(共著: 創元社, 2015年)


 前回、伝説の《日本語臨床研究会》〔発起人: 北山修〕のことに触れました。引っ込み思案の私は2000年にかろうじて医学部を卒業し、精神科医になりました。そして、突如として『先生』と呼ばれるようになったのです。多くの同僚は、医師になり精神科医になり患者や周りから『せんせい!』と呼ばれても違和感をもたずに、やり過ごすだけのメンタリティーを備えていたのかもしれません。 
 しかし、私はそうではありませんでした。これまで『かと~』と呼ばれていた私が、急に『加藤せんせい!』と呼ばれるようになったわけです。この当時の私に、幾ばくかでも共感してくれる方がいてくれればと願っています。

 ただし、幸いなことに私の最初の受け持ち患者は緘黙の方でした。私に何もしゃべりかけてこなかったのです。私に『せんせい』と話しかけることはありませんでした。私の日課は、彼と毎日一回将棋をすることでした。もし、最初のケースが『先生』『せんせい!』と追いかけてくるようなタイプの患者であれば、私は精神科医の道から逃げ出していたかもしれません。
精神科医になり数年が経ち、たくさんの患者を担当するようになると、『先生』『せんせい!』という患者を受け持つこともありました。こうしたとき、私の【逃げたい】反応が勃発されました。
 ところで当時、九大精神科医局のなかで『先生』と呼ばれない唯一の居場所がありました。「精神病理グループ」の部屋でした。精神病理とは、一言でいえば、こころの病気を哲学的にあるいは文学的に探究していく分野といいましょうか。精神病理の精神科医はお互いを『先生』ではなく『さん』で呼び合っていたのです。『先生』と呼ばれることを苦痛に感じていた私は、「ここはなにかが違うぞ?!」と直感し、出向病院から大学病院への戻り先として精神病理の部屋にデスクを置いてもらいました。

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 私の隣には先輩の樽味伸(たるみ・しん)さん(新型/現代型うつの原型となる「ディスチミア親和型うつ病」のコンセプトを提唱した夭逝の天才精神病理学者)が座っており、彼が《日本語臨床研究会》に発表するための準備をしていました。私も精神病理の一員として何か発表してみようかなと思い立ち、《日本語臨床研究会》というなんだかよく分からない名前の研究会したが、「樽味さんと一緒なら」という、無意識に感じつつあった安心感を糧にして、一大決心して、発表することにしたのです。
 私は、『先生』という日本語にまつわるモヤモヤした気持を吐き出しました。この瞬間こそが、引っ込み思案で、人前に出ないといけない場面を逃げ回っていた私が、多くの人の前で逃げずに発表した初めての舞台となったのです。


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