見出し画像

情動的で嘘つきなボクと、論理的で正直な君。



「え、ちょっと、こんなにひどい雨なのに迎えに来てくれないの!?」
駅の改札口を出てすぐ、女子高生がスマホに向かって叫んでいたのに出くわした。
「だって家まで15分かかるんだよ? いや、傘買えばって言われても今月もうお金な・・・って、もしもし!」
その子はそのままスマホに話し続けるが、その様子を見るに相手に切られてしまったんだろう、もしもし以外の言葉に変わることはなかった。
彼女は屋根のある一番端まで行って外を伺う。
天気予報にはなかった突然の雨は、何も防護策を講じなければ一瞬で全身ずぶ濡れになってしまう雨量だ。
駅の売店の前には傘が売られているが、一番安いであろう無色透明のビニール傘は既に売り切れてしまったのか、それとも突然の雨は商機とばかりに足元を見ているのか、並んでいるのは女子高生には似合わないシックなデザインの1本1000円を越える紳士用傘のみである。
彼女は値札を見て、次に自分の財布を見て、そして外の雨を見て、最後にもう一度財布を見た。
頭の中で雨に打たれるデメリットと、今月のお小遣いについて算盤勘定が行われているのだろう。
「はぁ・・・・・・」
そして、どうやらその計算結果が出たようだ。
彼女は売店に背を向けると駅の外へ、つまり雨に打たれて帰る道を選んだようだった。
女子高生にとって1000円は大金だ。
帰りに友達と寄るファーストフードチェーン店数回分、カラオケのフリータイムだってお釣りが来る。
青春の放課後は、おじさんっぽいデザインの傘で十五分間だけ身を守ることよりも優先される。

「よかったら、これどうぞ」

そう言いながら僕はビニール傘を差し出した。
「え!?」
突然の申し出に、彼女は面食らった様子だ。
まぁ、それもそうだろう。今の世代の子供は、知らない人から物をもらってはいけないと言い聞かされて育ってきた。
「君の話し声が聞こえちゃってさ。僕はかばんの中に折りたたみ傘があるから」
そう言ってかばんをぽんぽんと叩く。
彼女は突然現れた天啓とも呼べる選択肢に、えっと、でも、としばらく逡巡していたが、視線はビニール傘に釘付けだ。
「大丈夫、もう使い古した傘だから返してもらわなくていいし、何か見返りも求めているわけじゃないから安心して」
僕はそう言って微笑んだ。見たものを安心させる、人畜無害な青年っぷりを表すスマイル。
昔からいい人って言われることには自信があるんだ。
「あ、あの、ありがとうございます!」
その甲斐あって彼女の警戒心を陥落させることに成功した。彼女は両手で傘を受け取ると、何度もこちらにぺこぺこ頭を下げた。
僕はそれに手を振って答えると、彼女が駅から見えなくなるまで見送った。
なぜそこまで見送るかって?
それは、彼女に再び警戒心を抱かせないためだ。
僕は、嘘をついたから。




「さて、と・・・」
僕はパーカーの前のチャックを一番上まで上げ、フードをかぶった。
なぜならこれから家までの約15分間、僕はこの雨に打たれなくてはならないからだ。
もちろんフード一枚くらいで塞げるような優しい雨じゃないが、そこは気持ちの問題ということにしておこう。
僕は、嘘つきだ。
彼女にビニール傘をあげるために、折りたたみ傘を持っているだなんて嘘をついた。
別にそれによって何か得られるだなんて思ってない。
ただ、目の前に困っている人がいたら後先のことを考えずに助けてしまうという、損な性分なだけだ。
ちらっと駅の売店で売られている傘を再び確認する。
僕だって奨学金を借りている大学生だから、彼女と同じく毎月使えるお金は潤沢にあるわけではない。
今後のキャンパスライフは、おじさんっぽいデザインの傘で十五分間だけ身を守ることよりも優先される。
僕のかばんの中身に貴重品は入っていないが、それでもなるべくは雨に濡れないよう丸めてお腹に抱え込む。
まだこの時期の雨は冷たいだろう。帰ったらすぐにシャワーを浴びよう。
僕は意を決して、駅の屋根の外へ出ようとした。その時だ。

「よかったら、これどうぞ」

踏み出した足のつま先だけが濡れたところで、すぐ後ろから凛とした声がした。
僕はすぐに立ち止まってその声の主の方を見る。そこに立っていたのは、僕よりやや年上の、会社帰りと思わしき女性。
彼女はそう言って微笑んだ。見たものを安心させる、人畜無害な淑女っぷりを表すスマイル。
その顔に見覚えがあった。えっと確か、
「お隣り、さん・・・?」
「お、よかった。覚えてもらえていたみたいだね」
僕の下宿先の隣の部屋に住んでいる人だった。
玄関先で顔を合わすときに笑顔であいさつしてくれる、とても友好的な人だ。
「雨に濡れて帰るんでしょ? どうせ同じ場所に帰るんだから、一緒に入っていきなよ」
彼女はそう言って自分の折りたたみ傘を差し出した。
持ち手の先に緑のカエルがついた、水玉模様の可愛らしい傘。
デザイン性は彼女にぴったりの素敵なものだが、生憎ながらそのサイズは二人入るのに適していない。
「・・・あ、大丈夫ですよ。折りたたみ傘を持っているんで」
「嘘だね」
間髪入れずにぴしゃりと言われた。
「・・・・・・なぜ嘘だと思うんです?」
「今から折りたたみ傘を使う人が、フードをかぶるのは不自然だからさ」
「そうですね。おっしゃる通り、今日は傘を持ってくるのを忘れてしまって」
「嘘だね」
決して威圧的な言い方ではないが、それでも僕に向かってまっすぐ揺るぎない言い方でいうお隣さん。
「・・・・・・なぜ嘘だと思うんです?」
「君が幼気な女子高生に施しを行う一部始終を見ていたからさ」
「あの、人の善意を他の人から誤解を招くような言い方しないでくれますかね」
見られていた恥ずかしさから、僕は悪態をついた。
「まぁまぁ。見られていて恥ずかしかったからって、悪態つくことなんかないよ」
「・・・・・・人の心まで読まないでくれますかね」




「ほらほら、もっと近寄らないと濡れちゃうよ?」
「だ、大丈夫ですって」
結局あの後なんやかんやあって、僕はお隣さんのご厚意に甘えて一緒の傘で帰ることとなった。
とはいえ、僕は傘を持つことだけは断固として譲らなかったし、その傘の7割はお隣さんの頭上にあるので僕の左半身はずぶ濡れだけど。
「そんなこと言って、こっちに傘を傾けすぎてるから、君の左半身はずぶ濡れになってるじゃんか」
・・・相変わらず観察力の高い人だ。
「元はと言えばお隣さんの傘に善意で入れてもらってるんですから、それくらいは当然ですよ」
「え? ボ・・・私は君と違って、善意で動かないよ。ちゃんと恩を返してもらうつもり」
「そんなこと言っても、僕は大学生でお金もないですよ」
「お金なんて期待してないよ。体で返してもらうから」
「・・・・・・え?」
耳を疑う台詞に、僕は思わずたじろいだ。傘ごと。
「ちょちょちょっと! 濡れちゃうから離れないでよ!」
「す、すいません」
「ははは、君はとても正直者だね」
「僕なんていつも嘘をついてばかりですよ」
さっきの駅で傘を渡した時もしかり。その後のお隣さんと話していた時もしかり。
僕は自分が周りからいい人に思われるために、いつも嘘をついている。
「いやいや、君のは嘘だとしてもそれは方便、人を気遣ってのものでしょ? それに、」
「それに?」
「本当の嘘つきは自分を嘘つきだと言わない。社会に出たら、世の中嘘つきばかりさ」
「・・・お疲れさまです」
遠い目をしてため息をつくお隣さんに、僕は当たり障りのない言葉しかかけられなかった。
「ま、そんなことはともかく、体で返してもらうって話だけど」
「それ冗談じゃなかったんですか!?」
「だから私は善意で動かないって言ったろ? 君には取引を持ちかけたいんだ」
「と、取引・・・?」
ただならない言葉に、思わず傘の柄のカエルを握る手に力が入る。
「君、ほぼ毎日自炊しているだろ?」
思わぬ方向性の質問に、僕は戸惑いながらも答える。
「え、えぇ。どうして知ってるんですか?」
確かに、僕は付き合いで飲み会がある日以外は、節約のためにいつも家でご飯を作っている。
毎晩スーパーで値引きシールが貼られた食材を買って、有り合わせのもので献立を考えるくらいには料理はできるようになった。
「君の部屋の前を通って帰る時、いつもいい匂いがするんだよ! 男子大学生が毎日自炊をしているその前を、弁当の入ったビニール袋をぶら下げて通る女子の気持ちがわかるか!?」
「ご、ごめんなさい・・・?」
別に悪いことをしたわけじゃないはずだけど、突然責められたので僕はとりあえず謝った。
「そこで次のような取引を持ちかける。君、以下甲という、は私、以下乙という、の分も一緒に夕飯を作る。
 そして、乙は甲に対して、調理代の色を付けて多めに食費を支払うことにする。どうだろうか?」
わざわざ回りくどい言い方をしているが、
「それはつまり、僕が食費をもらった上で、二人分の食事を作るってことですか?」
「そういうことだ」
二人分の食事を作ることは、一人分の時とそこまで手間は変わらないから問題ない。
食材もまとめ買いをした方が単価は安くなるし、多めに食費をもらえるのであれば万々歳だ。
「・・・謹んで承ります」
「よし、契約成立だね!」
お隣さんは僕が持っていた傘を掴み取ると、高々と掲げた。
そのせいで、僕の右半身も雨に濡れる。
「細かいお金の話は追々するけど、決して損はさせないから安心してね」
「それはありがたいですけど・・・お隣さんはそれでいいんですか?」
「なに、女子高生に善意を施す優しい君に、私も善意を施したくなっただけさ」
「善意で動かないんじゃなかったでしたっけ?」
僕がちょっと意地悪に返すと、
「毎日弁当を買って帰るお金と手間を考えれば、私も君も得をする。それが全てさ」
そう言って、僕の方を見てウインクをする。
「確かに合理的ですね」
すると一転、お隣さんは僕の言葉以上に意地悪な笑みを浮かべた。
「それに、善意とは自分に見返りがあることを期待した上でするものだよ」
「・・・お隣さんは、本当に正直な方ですね」




バタン。
閉じた玄関の扉に背中を預けてさっきまでのことを思い返す。
「・・・ははは、まさかこんなことになるなんて」
思わず独り言を呟いた。
いつもはかかとを踏みつけて靴を脱ぐが、今日は湿っているせいか思うように脱げない。
無理やり脱ぐのは諦めて、玄関に腰を下ろした。
「社会人が多めに食費を支払って手作りの料理をいただき、大学生は経済的な利益を享受する。うん、我ながら確かに合理的だ」
靴を脱いで、折りたたみ傘を畳む。
「それにしても、いい年して危うく自分のことを『ボク』と呼ぶところだった。本当の自分を曝け出すには早いからね」
ボクは水が染み込んでいたストッキングも脱いで部屋へ上がり、脱衣所の洗濯機に放り込む。
「君はボクのことを合理的だとか正直だとか言ったけど、とんでもない」
『善意とは自分に見返りがあることを期待した上でするものだよ』
自分の吐いた言葉を思い出し、思わず苦笑する。
改札を出た先で、顔見知りの男性が自分の傘を他人に手渡すところを見ていた。
気になってその後の様子も見ていると、君自身は代わりの傘があるわけでもなく、自分が濡れて帰るつもりらしい。

この人いいな、って思った。

そして、そう思ったときには、
『よかったら、これどうぞ』
ボクの体はもう君へと動いていた。
ボクが欲しい一番の見返りは、日々の夕食代を浮かすことでも、弁当を買う手間が省けることでもない。
『私も君も得をする。それが全てさ』
「・・・"私"こそ、嘘つきだよ」




情動的で嘘つきなボクと、論理的で正直な君。




05/16

雨の日だったので、雨の日の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?