なぜ日本企業は「仕事」ではなく「人」で評価と給与を変えるのか?
仕事か人か、あなたの会社はどちら?
Aさんは、経理と労務と総務の仕事ができます。Bさんは、経理しかできません。
2人が経理担当という同じ仕事につきました。経理としての力はおなじだとします。さあ、どちらの給与を高くしますか?
多くの日本人は、Aさんを高くすると答えるのではないでしょうか。それは「人」基準です。同じ経理担当だからAさんとBさんは同じ給与だ、とするのは「仕事」基準で、欧米企業の多くがこの考え方です。
経験や能力は人に属するものとして、人によって扱い(給与、区分)を変えるのは人基準。そして、経理担当という仕事であればどんな人であっても扱い(給与、区分)を変えないのが仕事基準。
人基準の人事制度には、年齢や経験で区分を変える年功等級、能力で区分を変える職能資格等級、などがあります。仕事基準の人事制度の代表選手は職務等級です。
さて、どうして多くの日本企業は人基準になったのでしょうか。
戦後、生活を保障するために「年功」を選択した
戦後、日本経済は疲弊していました。飢えている全ての人たちの生活を担保するため、少ない原資をみんなで平等に分ける必要がありました。
また、当時は労働争議が多く勃発し、労働者をランク付けしてはならないという思想のもと、職務も能力も査定しない形が求められていました。そして企業のマネジメントコストがかからない形が必要でした。
そこでシンプルに、年齢が高い人は生活によりお金がかかるため、高い給与を支給するという年功等級が選ばれました(年齢は人に属するため人基準 )。
「できる限り生活を保障する」年功は、戦後日本で人を生かす合理的な仕組みだったのですね。しかし戦災から復興して社会全体が豊かになるにつれ、年功等級は支持されなくなりました。それは、がんばった人もそうでない人も給与に差がつかず、納得感がない、やる気がおきない、という問題が生じたからです。
変わり続ける日本企業に「職務」は適さなかった
1950年代中盤からは、各企業で欧米のような職務等級の導入が試みられます。職務が給与を決める、という仕組みは合理性が高く、明快です。
しかし、全ての職務を分析して等級を定義するのには膨大なコストがかかります。さらに当時成長中だった日本企業では、常に新しい仕事が生まれており、随時、等級定義を更新し続けることは現実的ではありませんでした。
さらにはそういった経済合理性だけでなく、仕事基準は心の部分で日本になじまなかったのかもしれません。
ここには、後輩への面倒見のよさも、各人の切磋琢磨にも評価が与えられない。和と研鑽を旨とする日本的伝統とはなじまない制度だったのでしょう。(海老原嗣生 萩野進介『名著で読み解く日本人はどのように仕事をしてきたか』p63)
結果、人を見ない合理的な「職務」等級は日本企業には根付きませんでした。
「職能資格」が日本人の気質にフィットした
日本企業に最も影響を与えた「職能資格」等級。この記事のタイトル「なぜ日本企業は「仕事」ではなく「人」で評価と給与を変えるのか?」にシンプルに答えると「職能等級が普及しているから」となります。
職務の導入を指導するGHQに対してNOの声をあげ続けたのが、職能資格の立役者、楠田丘その人です。
人基準である職務資格制度は、能力の判定が難しく、ともすれば年功的な運用になる「曖昧さ」という弱みを抱えています。それにも関わらず日本で最も普及しました。
その理由は、頑張って能力を上げれば評価されるという希望が持てて、極端な差がつき過ぎず、マネジメントの裁量の余地が多く残されている、つまり、一体感と調和という日本的で編集的なマネジメントができる等級だからだと私は考えています。
日本人の一体感と調和については、次回書こうと思います(書きました)。
このnoteは拙著『人材マネジメントの壺 テーマ2.等級』から一部抜粋して再編集したものです。ぜひ本編もご覧ください(^^)b