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4番有藤が顔面死球で離脱…高知、飛車角抜きの優勝 1964年夏(上)紙面で振り返る「高知の高校野球」

 今春センバツに出場の高知高校はかつて、「エースで四番」が初戦の死球で、「キャプテン」も次戦の死球で戦線を離脱しながら夏の甲子園を制したことがある。最初の東京五輪が開催された1964(昭和39年)のことだ。主力を欠きながらの快挙は、将棋になぞらえ「飛車角抜きの優勝」と呼ばれた。土佐路に初めて深紅の大優勝旗をもたらしたドラマチックな快進撃を、地元紙の高知新聞はどう伝えたのか。当時の紙面をたどってみる。(敬称略)

アクシデントは突然に

振り返る高校野球-前編1

 この年の高知高校、投打の柱は有藤通世。後にプロ入りし通算2057安打、「ミスター・ロッテ」と称されたあの有藤である。有藤あっての高知が甲子園を制覇したのなら分かるが、初戦で死球、しかも顔面にである。普通なら柱を失い、敗れてしまうところだ。有藤死球の一報は、試合があった8月12日付夕刊に掲載されている。新聞記事によると、初戦の秋田工業戦は午前9時58分スタート。快進撃の期待高まる矢先、初回の出来事だった。「有藤は全治一カ月」の見出しが痛々しい。初戦で戦線離脱といっても、わずか1イニングしか出場できなかったのだった。 

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