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不登校についての考え方

昨日、親戚のおばちゃんから久しぶりに電話がかかってきてもやもやしたままの話です。

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「最近Kくん、学校はいけてるん?」
「今日はちょっとだけ行きましたけど、全然ですよ。」
そう、最近は学校に行ったとしても給食だけ食べに行ったりするだけ。出席日数稼ぎで、私も息子もそこにあまり意義は感じていない。でも学校が黒く見えて、立ち入るだけで胸が苦しくなってめまいがする、と言ってた頃から考えると精神的には落ち着いたのかと思うと、行ける日ができただけで良かったとは思う。

「うちの孫も学校休む日が増えてなー、先週続けて3日休んだんよ。このまま学校行かんようになったらどうしよう、って私不安で、不安で」
そうかー、おばちゃんちのお孫さんはちょっと悩ましい男の子だ。マイペースでこちらの話をあまり聞いてくれなくて、要求が通らないとヒステリックに泣きわめいてみんなを困らせていた。そして、おばちゃんは何か障害があるのではないか、と私によく相談してきていた。

しかし、この人はもう70歳くらいだと思うけれど現役時代は幼稚園の先生として長年勤めて、各方面にも知り合いは多い人である。私なんかに相談しても愚痴をこぼしているくらいで何の役にも立ちはしない。何度か一緒に遊ばせてもらったけれど、結局は普通から外れてそうなうちの息子を見て仲間意識を持って安心しているようだとわかった。

私はそれで腹が立ったりしても、何に腹を立ててるのかよくわからなくなる。うちの子と一緒にしないで!なんては言えないのが息子だから、同調しておけばいいのかもしれない。でもね、でもね
「うちの孫もこのままだったらKくんの後を追うようになるんかな、と思って心配なんよ。Kくんも賢いし運動もできるし、他の才能にも溢れてるのに学校に行けないだけやん。なんも問題ないのになあ。うちの孫もそうなるんかなあ。」
こんな言い方されたら、やっぱりイラっとする。

どう返事をしてあげればいいのかわからない。頭と心が久しぶりにちぐはぐになり、言葉がでないのだか、向こうはお構いなしにしゃべっている。いきなりキャッチボールでめちゃくちゃたくさんのボールを投げられ続けているような感じだろうか。どのボールを獲ればいいのか、いや、一つでも獲れるんだろうか。私は手がたくさんある訳でも技術がある訳でもない。かなりイライラが募ってきて、早く電話を切りたかった。

「あなたは学校なんて行かないでもいい、と思ってるの?」
ちょっと皮肉な口調でおばちゃんは言った。むちゃくちゃな球を投げておいて間髪いれずにどストレートですか。
「行ってもらいたいとは思うけど、行かないなら行かないなりに他の方向に進むことを考えて行くしかないと思ってますよ。」
と言うとおばちゃんは
「そうよねぇ。うちの娘(その孫のお母さん)なんて学校なんて行かなくてもいいって言うのよ。誰に言われたのか知らないけど、他の人もそう言ってるって。困ったもんよね。」
私ももう反撃をしたかった。しかし喋らせてはくれない。以前もこうやって電話してきてしゃべるだけしゃべって、朝ドラが始まるからと言って電話を切るという、自分都合なことばかりされていたけれど、今日はちょっと私も許せない。

私の母も普通大好きで、自分ちは普通以上と考えている人だったので、孫が不登校なんて恥ずかしくてたまらないのだ。それでもさすがに父を亡くして私もあまり健康ではない状況で、うちの息子にそういう発言はしてはいけないと思うのか、私には喧嘩は売らなくなってきた。それなのに、よその人に「お宅の子の後を追うんじゃないかと思うと心配で」なんて言われたら私だって我慢してたことを言いそうになる。おばちゃんは決して私に対して非難している訳ではなく、簡単に言えば気難しい、育てるのに苦労するような性格の子はみんな不登校になるものなんだな、と言ってるのだ。

不登校であろうがなかろうが、親子で日々頑張って生活していればそれでいいのではないだろうか。他者と比べて嘆いてばかりいても1日がもったいと思う。おばちゃんの娘さんは二人とも優秀で、お仕事もしっかりしているし、ご主人もお子さんを大切にされている。これ以上の幸せはないと思うのに、おばちゃんにとって扱いにくい孫が現れただけで、なんでこんな子ができたんやろう、と嘆く。私の母も同じである。理解できなくても「こんな子」ってどういう意味で使ってますか?うちの息子のことを考えてもたくさんの方にサポートしてもらい、親切にしてもらって、その方々にも失礼ではないのかと言いたい。

言いたいことが頭の中をぐるぐる回って、なんだかとても気分が悪くなってきた。20分くらいしゃべっていただろうか、終いに一緒に散歩しながらしゃべろう、と言い出したのでそこだけは丁重にお断りして電話を切った。自分の本音と建前とで毎日苦しんでいる私には、おばちゃんの戯言はかなりきつかった。

私の何が至らないのだろうか。息子はどうして学校に行けないのだろうか。森を彷徨っている私に相談なんかしたって森からへの出口も道順も人それぞれではないのだろうか?私達は空は見えているけれどまだ足元に道はない。誰かの作った道に出るか自分で道を作るかは、本人次第であるし、そもそも親子や家族が同じ森をさまよっているとは限らないのだ。

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