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「なんでもこうてあげるよ」

「なんでもこうてあげるよ」

小さい頃、おばあちゃんにそう言われると、純粋にうれしかった。
スーパーのお菓子売り場で、昔からある文房具屋で、何を買ってもらおうか考える時間はワクワクした。

特に、文房具屋は思い出深い。
おばあちゃんがいつも連れて行ってくれる文房具屋は商店街の中にあった。
間口が狭く、奥に向かって長い形をした店内には、背の高い棚が並び、壁にもノートやらファイルやらが所狭しと陳列してあった。
小学生が喜ぶようなキャラクターものというよりは、事務用品が置いてある町の文房具屋だ。

文房具屋で「なんでもこうてあげるよ」と言われたら、わたしは狭い店内をぐるぐると何周もまわり、何を買ってもらおうか真剣に考えた。
ノートを手に取ってパラパラめくったり、カラフルなペンをまじまじと眺めたり。
文房具が大好きな小学生にとったら、えんぴつやペンに囲まれてうっとりする時間でもあった。

なんでも買っていいとは言うけれど、おばあちゃんに高価なものを買わせてはいけないという、小学生なりの良心はある。
でも、新しいペンや消しゴムがほしい。
いろいろ考えたうで、えんぴつやノートなど好きなものを買ってもらった。
「そんだけでええの?」「もっと買いや」と、わたしが厳選したものを見ておばあちゃんはいつも言っていたけれど、買ってもらった宝物を握りしめてホクホクした気持ちで店を出た。


最近、そのおばあちゃんが高知の我が家に遊びに来た。
昼ご飯を食べてからたまたま入った雑貨屋で、おばあちゃんはまた言ったのだ。

「なんでもこうてあげるよ」

大人になった今なら分かる。
「なんでもこうてあげるよ」と次の文の行間には「買ってあげたい」という気持ちが転がっているということを。
あまやかされた思い出は、こうやってわたしの心の真ん中を温かい気持ちにさせてくれる。

子どもの頃に比べたら甘える機会なんて指折り数えるほどだから、今回は遠慮せず、目の前にあったハンドメイドのイヤリングを買ってもらった。
レジの前で、子どものように「おばあちゃん、ありがとう!」と言ったら、おばあちゃんは笑っていた。


高知暮らしの「よみもの」を気ままに綴る #高知の歩き方
なんでもないわたしの日記エッセイです。
田舎を楽しむヒントをおすそ分け。

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