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飽きる脳!のび太くんは冒険が好き?!

どうも、この世の全てのイレギュラーを生きるふたです。ユニークな9歳長男、2歳次男を育てています。

時々考えるのですが、ギャンブルにハマる人やゲーセンにハマる人は、かつては狩猟民族だったんじゃないかなと。

命をかけて獲物を獲り、アドレナリンが出ていたものが現代社会においては狩猟の必要はありません。

生きてく上で足りない刺激を、ギャンブル性の高い娯楽で代替して生きているのではないか?と。


分業型社会

昔はみんな一人一人が生きるための業をマルチにこなさねば生きれなかったことでしょう。

狩猟採集、開墾、農耕、家屋修繕、保存食作り、糸紡ぎ、被服、薪割り、水汲み、火起こし、他にもたくさんの生きるために欠かせない仕事はたくさんあったことでしょう。

生きるだけで常に死と隣り合わせです。

本気で生きなければ生き抜くことは難しかったことでしょうし、そこから落ちた者たちの屍はあらゆる所に横たえて、じっと彼らを見つめていたかも知れません。

常に死が隣にある中、今よりもっとアドレナリンは出たでしょうし、心拍数も高かったんじゃないでしょうか。

いつだったか発達障害の勉強会に参加した時のことです。ADHDの子は動いている時に最大のパフォーマンスを発揮するという、セントラルフロリダ大学の研究について話を聞きました。

ADHDの子は学習前に軽く運動をしてアドレナリンを出すことで、学習に集中することができるそうなのです。


ゾウの時間ネズミの時間

寿命は心拍数に比例するなんて話もありますね。『ゾウの時間ネズミの時間』という本ををご存知ですか?

ゾウは70~80年の寿命を持ち、ネズミは2~3年しか生きない。だが寿命を呼吸数で割ると、哺乳類はみな約5億回となる。つまり心臓の鼓動を時計になぞらえると、どんな哺乳類の一生も変わらない。

『ゾウの時間ネズミの時間-サイズの生物学』本川達雄


生きるために必要な仕事を、各種の専門家に投げ、分業するようになり猟にいかずとも、野菜を育てずともスーパーに行けば手に入り、水をくまずとも水が手に入り、薪を割り火を起こさずとも風呂が沸き、

代わりにデスクワークが増えたことにより、人の寿命は伸びたのかもしれませんがもしかしたらその代わりに、彼らの人生の濃さや輝きは失われたのかもしれませんね。

そして、ハラハラドキドキを求めギャンブルやゲームの世界へと繰り出していく。

なんだかそう考えると、江戸時代とか縄文時代に生まれた方が、幸福度が高かった人もいるのかもしれません。

私もそうです。採集も開墾も、家屋修繕も保存食作りも好きです。

庭に路盤材敷いてならしたり
タイヤ交換したり、虫を育てたり、
壁紙張り替えたり、畑を耕したり、
ペンキ塗ったり、釣りをしたり
魚を干したり、梅を漬けたり
果樹を植えたり、魚を捌いたり、
簡単な物作り、Canvaをいじったり、短編動画を作ったり
文章を書いたり、絵を描いたり、夫の髪を切ったり
様々なことをするけれど

現代社会においては変わった趣味だと嗤われたり、なぜ専門家に頼まないのか
非効率だと奇異な目で見られて終わるのです。

そうやって周りから頭を叩かれ、自分は合理的ではないバカなのかと萎縮するしかないのですから。

太く短く生きることの価値は
細く長く生きることの価値に
劣るとは思えないのです。

何をするにもスリルが必要?!


そんなことを考え連ねていた時でした。
長男の受診の時のことです。主治医がこう仰いました。

「お母さん、この子は何をするにもスリルが必要だと思って下さい。じゃないとスイッチが入らないの。飽きちゃうのよ。」

「それはつまり生きるか死ぬかのハラハラが必要ということですか?ライオンの檻に入れちゃうかもしれないとか、天井から槍が降ってくるかもしれないとか、家に帰ったら妻が死んだフリをしてますのような、新奇的なスリルが必要だと?」

「まぁそうね。そういう子なの。」


ドラえもんはみなさんご存知でしょう。主人公ののび太くんは、不注意優勢型ADHDであるなんてことをよく耳にします。

普段はテストで0点、やりたいことしかやらず、飽きると昼寝。溝に落ちたり犬に噛まれたり、やらかしては「ドラえも~ん」

そんなのび太くんですが、
映画の時は凄く輝いていませんか?

リーダーシップを発揮し、時に勇敢に自ら攻め込み、仲間を助けたり協同する力も発揮し
様々な困難を乗り越えながら、冒険に繰り出す、のび太くん。

どうにもならない状況に、アドレナリンがドバドバ出て
彼のやる気スイッチがオンになり
生を実感し、彼はきらきらと輝いてしまうのかもしれません。

文明社会の弊害?!

リスクから引き離され、医療に命が守られ、
私たちは安心で安全に暮らせるようになりました。

老いるまでは生死を彷徨うことも少なくなり、
命を懸ける体験もほとんどありません。
家族の死も、遺骸との対峙も経験することがなくなってきた現代社会。

死はどんどん遠くに下がっていき、
隣り合わせであることを実感することは難しくなっています。

安全で便利で楽で、
意図しなければ運動することさえ
難しくなってしまいました。

野山を駆け巡り、自然の営みの中に身を置くことで得ていた喜びを
どこかにおいて来たのかも知れません。

利便性や安心を得た文明社会の弊害は、今、一部の飽きる脳を作り出しているのかもしれないなと
何となく、考えずにはいられないのでした。

このnoteは、
この世の全てのイレギュラーを生きるふたがユニークな9歳長男、2歳次男を育てながら気づいたこと、感じたことを綴っています。

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