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埼玉県道・千葉県道29号 草加流山線

2020/10/04
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埼玉県草加市

旧・北足立郡草加町

起点、谷古宇橋交差点。西方面はさいたま草加線(r34)、南北は足立越谷線(r49)。r49沿いに草加松原が続く。谷古宇橋については以下のページが詳しい。
草加今昔 谷古宇橋 - 草加市役所
谷古宇橋は綾瀬川を渡る橋である。川沿いに草加松原が連なる。
この県道の沿道は大抵が車での客をターゲットにした商業地、もしくは工業地域である。
獨協大学前は直されているのに、いつまで経っても直されない哀れなさいたま草加線。
旧道と分岐。旧道は今は越戸橋(こえどばし)通りとなっているようだ。現道が完成したのは1960年代頃であり、沿道は既に開発され尽くしている。

旧・新田村

弁天二丁目交差点では越谷八潮線(r115)と交差。この辺りは草加工業団地で、民家はほぼない。

旧・南埼玉郡川柳村

弁天橋で渡るのは古綾瀬川。その名の通りかつては綾瀬川だったが、曲折が激しかったため江戸幕府によって現在の流路へと変更された。
広い工業団地の間を進む。
青柳新橋で渡るのは葛西用水路。こちらは川沿いにそれらしい感じの歩道も整備されている。

八潮市

旧・八條村

八潮市へ。北部の細長くなった部分を東西に渡るため八潮市区間は1km程度と短い。
和耕橋で渡るのは八条用水。平地埼玉らしい川の多さ。
八潮八条交差点。異常な指定方向外進行禁止の標識があり、埼玉屈指の人気スポットとして知られているらしい。平方東京線(r102、以降重複)が北から合流するほか、国道298号とその下の綾瀬川放水路、上の外環道が交差している。
八条橋西詰交差点でr102と分かれ中川へ向かう。橋の関係で歩道が下流側にしかなくなるが、これは江戸川の橋も同じである。

三郷市

旧・北葛飾郡彦成村

八条橋で中川を渡り三郷市へ。この県道はかつての彦成村から早稲田村の地域を東西に渡っていく。
中川。遠くに見えるのは外環道。
三郷市側にある記念碑は1938年のもので、初の架橋となった1930年の橋について記している。
下の方。綺麗に写真撮れず。
吉川警察署。移転の際に改名をしなかったため三郷市にありながら吉川警察署という名前になってしまった。三郷市・吉川市・松伏町と北葛飾郡南部の三市町を管轄にしているが、吉川はともかく松伏とはけっこうな距離があるため苦労が偲ばれる。
葛飾吉川松伏線(r67)と交差。このr67は2012年全通のバイパス(旧道は市道に降格済み)のため交差点名称はない。
写真の橋は二郷半領用水路を渡る彦成橋。かつての村名を冠している割には地味な橋である。Twitterのリプで頂いた情報によると歩道の四角い継ぎ目の範囲が昔の彦成橋らしい。
新駒形橋で渡る第二大場川。私が地元埼玉を感じる要素の一つ、「雑草の生えすぎで水がよく見えない小川」である。
三郷市内の沿道には飲食店やドラックストア、工場などが見られるが、民家は殆どない。この県道の北側にはさつき平団地や新三郷駅周辺のマンションがあるため、そこの住民がこのロードサイド店舗の主要顧客と考えられる。

旧・早稲田村

常磐自動車道の下を進む。三郷JCTと三郷料金所の間の区間にあたる。
大場川を新三郷橋で渡る。中川や江戸川には遠く及ばないにしろなかなか大きな川だが、この南、茂田井の排水機に水を取られてしまう。水元公園辺りで再び川幅が広がり、北南の葛飾に領土問題を残している。
三郷三丁目交差点で三郷松伏線(r21)と交差。
大広戸ガードの上は武蔵野線。新三郷〜三郷駅間。武蔵野操車場があった名残でこの辺りはやや線路の幅が広い。
なんとも地味な交差点で越谷流山線(r52)と交差、以降終点まで重複。
駅前ロータリーのすぐ隣にある三郷駅北口交差点で歩道が消滅。江戸川を渡るための登り坂に入るのだが、古く優しくない道のせいで歩行者が渡るためには回り道をして土手を登る必要がある。(なお。2023年現在は歩道が整備されている)
三郷幸手自転車道線(r156)と、江戸川を渡る流川橋。
(ルートの試行錯誤を重ねた結果、信号のない交差点の反対側に出てしまい、頭を抱えていたその時、何かを察した心優しいドライバーさんに止まってもらうなどのハプニングを経て辿り着いた)江戸川を渡る流山橋。1965年製らしい。川に反射して映る武蔵野線が実に美しい。

千葉県流山市

旧・東葛飾郡流山町

千葉県流山市へ。この県道は千葉に入って終点になるため、流山市区間は橋の部分を除くと約500mに過ぎない。橋の中央には両県名を記した看板とヘキサ(写真では裏側しか写っていないが「埼玉県」と書かれたものもある)が立っているが、埼玉にはないタイプのヘキサのため千葉県が設置したものと見て間違いない。
並木と看板で歓迎される。
終点、流山八丁目交差点。松戸野田線(r5)が南北に交差し、白井流山線(r280)が東に続く。

GPSログ

だだっ広い田園地帯から工業地、商業地へと発展した埼玉南東部の空気を感じられる道だった。

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