見出し画像

埼玉県道34号 さいたま草加線

2020/12/06
Twitter

さいたま市浦和区

旧・北足立郡浦和町

さいたま市浦和区、旧中山道である曲本さいたま線(r213)と国道463号の浦和駅西口交差点から東へ進んでいく。
浦和駅の南側をそっと抜ける。
主要地方道とは思えぬ薄暗い通り。
浦和の歴史を辿る写真が数多く展示されている。
東北本線の下を潜る。南には南浦和駅がある。
浦和パルコの横を抜ける。
大通りだが、朝なのでひっそりしている。

旧・木崎村

大通りはここで終了。
ソトバ に案内されるまま右に曲がると、県道らしからぬ住宅地へ。

さいたま市南区

旧・谷田村

この辺りからさいたま市南区。音すらろくに聞こえない。
ソトバは大盤振る舞い。
本当にただの住宅地の一道路にすぎない道である。犬の散歩以外はほとんど人と出会わなかった。
浦和競馬場。朝の体操か何かをしているようだ。
センターラインが出たり出なかったり。都市部の県道はこういうの好きですね。
藤右衛門川を狐橋で渡る。
武蔵野線のきつね橋ガードの下を通る。西には南浦和駅が、反対側には東浦和駅がある。
南浦和駅入口交差点で川口上尾線(r35)と重複。東南へ進む。
産業道路の異名を取る35号と重複するこの区間は、道幅も交通量もなかなかのものがある。
二十三夜塔が解説と共に置かれている。
二十三夜交差点を左にそれ、単独区間へ。

川口市

旧・芝村

川口市へ。この県道では北西部から中央を横断するように通過する。
坂下橋交差点で交差するのは都市計画道路南浦和越谷線。
藤右衛門川の水路沿いの道。歩道も無骨でなく歩きやすいものに仕上がっている。
歩道の記念碑まで設置されている。
伊刈交差点で大間木蕨線(r235)と交差。

旧・神根村

外環道・国道298号が通る岸川中学校交差点。かつてはこのまま直進するルートをとっていたようで地理院地図でもそう描かれているが青看では削除されている。現在のルートについてはよく分からないが、とりあえず最短距離である左折し298号と重複するルートを行く。
芝川根岸大橋で芝川を渡る。
芝川に並走する足立さいたま自転車道線(r255)を見送る。
道合(西)交差点でさいたま川口線(r1)から第二産業道路を受け継ぐ。私としては思い出深い踏破1回目の道の続き。
よく分からないが車道が潜り出す。
歩道は無さそうなので仕方なく上へ。交通量は少ないが一応ここの管理標識にもしっかり「34」と書かれていた。なお、下のトンネルは神根トンネルである。
グリーンセンター西交差点で根岸本町線(r332)とぶつかる。
「戦隊が怪人に飛ばされる異空間」こと川口市立グリーンセンターの敷地内を通っていく。

旧・北平柳村

この辺りから旧・鳩ヶ谷市。かつては蕨桜町線(r111)の里(中央)交差点で左折していたが、現在は直進方向のバイパスが完成、旧道の案内はなくなっている。
鳩ヶ谷駅周辺。
鳩ヶ谷歩道橋交差点と国道122号。エレベーター付きの歩道橋。
続く鳩ヶ谷庁舎(西)交差点でさいたま鳩ヶ谷線(r105、国道122号旧道)と交差する。
川口市役所鳩ヶ谷庁舎。

旧・新郷村

旧・鳩ヶ谷市を脱し川口市(新郷村)に復帰。赤井二丁目交差点で第二産業道路を台東川口線(r58)に託し左折。交差点には ソトバ が両方の県道に設置されている。r58は掠れて読めないうえ台東鳩ヶ谷線という旧名称を使っている状態だが。
赤井四丁目交差点で旧道と合流、右折し進路を戻す。当然と言えば当然だがここからはやや古い街並みになる。
首都高速川口線の下を通る足立川口線(r239)と辰井橋交差点で交差。辰井橋はそのまま辰井川の橋梁らしいがよく見えない。
この区間は1900年代初期頃の古地図にはしっかり描写されている古い道で、この県道の中では珍しい歴史を感じる街並み。道の規模の割に車も歩行者も多い。
横道交差点で吉場安行東京線(r103)と交差。道の新設のためこの辺の事情はやや複雑になっている。

草加市

旧・安行村

草加市へ。
草加市に入ってすぐの交差点左のも県道指定があるようなので、別で歩いた。
草加市に入ってから国道4号と交差するまでは片側2車線となっている。車社会的な道だが沿道のラーメン屋は繁盛していた。
花栗(中)交差点で国道4号と交差する。草加バイパスとして作られた道。

旧・草加町

草加市立病院の前を横切る。
伝右川を渡る。橋の名前は書いていないがさいわい橋と言うらしい。川の向こうには獨協大学前駅付近の建物が見える。
東武伊勢崎線(草加〜獨協大学前駅間)の高架下を過ぎる。
終点、谷古宇橋交差点に到着。足立越谷線(r49)が横切り、草加流山線(r29)が受け継いでいる。

GPSログ

久々の都市県道を楽しんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?