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モネからリヒターへ /ポーラ美術館

 “わたし” という岸に、一定の周期で訪れる “波” がある。
 「ああ……抽象が観たい」

 ――きっといまはその時化のさなかにいて、絵のなかの渦に溺れていたいものだとむしょうに感ずる。川村の「カラーフィールド」に触発されてその思いを新たにしたわたしは、今度は箱根のポーラ美術館まで馳せ参じたのであった。
 ポーラ美術館へのアクセスは、はっきりいって、かなりよくない。鉄道のどの駅からも離れており、車がなければ路線バスを使うほかないのだ。
 飛び乗ったのは、小田原駅から乗り換えなしで行ける直通バス。所要時間は1時間ほどで、公共の足を使うルートとしては最短といえるだろう。
 お正月の箱根駅伝で見覚えのある道路……すなわち、九十九折りをうねうねと登っていくのであって、乗り物酔いのあるわたしにとっては、ポーラ美術館へのハードルは高すぎるほどに高い。
 じっさい、行きは気分が高揚していたためヨイヨイとやり過ごせたものの、帰りは鑑賞後の疲労あり、車窓風景の新鮮味も失われたために、きわめてつらく険しい苦行の時間となった。小田原駅についてすぐに水を買って、がぶ飲みして体を休ませた。
 しかし、後悔など微塵もなかった。
 それほどまでに、ポーラ美術館は、わたしの鑑賞欲・渇望を満たしてくれたからだ。

 ――「ポーラで抽象画」というと、首をかしげる方もいらっしゃることだろう。
 ポーラ美術館といえば、印象派を中心に、ピカソなど日本でも人気の高い近代西洋の画家をひととおり、それに加えて日本洋画・日本画、彫刻……といった、じつに日本の美術館らしいラインナップが真っ先に浮かぶ。これらは、ポーラ化粧品2代目の鈴木常司さんが集めたものだった。
 こういったものを高水準で取りそろえているだけでも、もうじゅうぶんにやっていけそうなものであるが……この美術館、まだまだ進化を遂げている。
 鈴木コレクションに加えて、近年は現代の作家を含む抽象絵画の収蔵に力を入れているのだ。

 開館20周年を記念した本展のタイトルは「モネからリヒターへ」。
 ポーラ美術館のモネ・コレクションは国内最大で、鈴木コレクションの象徴ともいえる。
 リヒターはゲルハルト・リヒター。現代の抽象作家で、従来の収蔵品とは傾向が大きく異なる。モネの《睡蓮》とともにメインビジュアルに起用されている大作《抽象絵画(649-2)》は、一昨年、香港のサザビーズで30億円で落札されたもの。本展はその初公開も兼ねている。
 モネ的なものと、リヒター寄りのもの、そのどちらにも触れることができる本展は、とりもなおさず「一度で二度おいしい」「ぜいたく」と形容できる内容ではある。
 けれども、モネとリヒターを並べてみると……あらふしぎ、親和性をじんじんと感じるではないか。
 両極端にあると思われたものを並べてみると、メビウスの輪のようにつながってみえた――この体験を経てはじめて、ただ2つの作品のみならず、本展の出品作全体がひとつの有機体をなすように感じられたのだった。

 もとあった印象派などを主体としたコレクションに、近年になって近現代の抽象芸術が積極的に加えられている……という意味では、旧ブリヂストン美術館=アーティゾン美術館とそっくりな傾向をみせているのがおもしろい。じっさい、新しく集められた作家には重複もみられる。
 会期中には両館の学芸員の対談イベントもあって、やはり、意識はしあっているらしい。まさに好敵手だ。
 こういったプラスアルファの新展開は、わたしにとってもたいへん喜ばしい。印象派のような人気どころが看板や入り口の役割を果たして、より多くの人が抽象芸術の楽しさに気づいてくれるのではと考えるからだ。


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