逆、裏、底 映えるNIPPON /府中市美術館
〝清き一票〟は、府中市美術館に投じることにした。決め手のひとつが、向井潤吉が観られる点だった。
向井潤吉は、茅葺き屋根の古民家を描きつづけた洋画家。その自宅兼アトリエは世田谷区に寄贈され、世田谷美術館分館「向井潤吉アトリエ館」となって、代表的な作品もほとんどがここに収められている。記念館としては理想的だが、逆にいうと、潤吉の作品が観たければ駒沢大学まで足を延ばさなければならない。
それが今回は、明治の草創期の洋画や大正新版画とともに、府中でまとめて鑑賞できるのだ。清き一票を投じるのは、もうこれしかない。
潤吉が古民家のある田園風景を描きはじめたのは、終戦の直後。以来、戦後の復興や高度経済成長に逆行するかのように、都会の喧騒を避け、片田舎に分け入っていったのだった。当時、茅葺き屋根の古民家はその価値を見出されず、朽ちるにまかせ、積極的に取り壊されるような状況だった。潤吉自身の回想でも、スケッチした数日後には取り壊されてしまっただとか、再訪しても見当たらなかったとかいう話が多い。せめて、この姿を絵のなかに留めたい。潤吉の絵筆にはそういった愛惜の念がこもっている。
潤吉の描いた風景は、まさしく〝日本の原風景〟とでもいうべき懐かしさを醸している。わたしなどは旅先で茅葺きの家屋や傾いた作業小屋などを見かけると、ついカメラを向けてしまう性分なのだが、潤吉の絵はそういった嗜好をダイレクトにくすぐってくる。潤吉の筆のバサバサとした感触も、〝鄙(ひな)ぶり〟を大いに喚起して効果的。「日本画よりも日本的な洋画」とでもいえようか。
古民家とはまた違った意味で〝日本の原風景〟を感じさせるモチーフが奈良大和路で、そんな奈良の風景を写した第一人者が入江泰吉だ。入江さんも終戦の直後に奈良や仏像を被写体に定め、そればかり写すことに飽かず情熱を注いだ。文明の姿は嫌い、被写体としなかった。活躍した時期もスタンスも、潤吉とは共通項が多い。
そんな入江さんによる写真はわたしを魅了してやまないのであるが、じつのところわたしは、その俗にいわれる「入江調」のよさをつかみきれていない。
なにせ、被写体がよすぎる。あの頃の奈良をカメラに収めたら、どこをどう切り取ってもいい写真ができるに決まっているではないか。
もともと写真の分野に明るくないわたしは、入江さんなりのよさは奈辺にあるのかが腑に落ちておらず、なんだか、被写体頼みのようで非常にずるい気がしてしまっているのである。美しいし、ノスタルジックでいいにはいいのだが、「潤吉にあって泰吉にないもの」を残念ながらわたし自身は捕捉しかねている。
東京五輪の頃、潤吉と同じように都会に背を向け、人里離れた土地を精力的に巡りはじめた女性がいた。白洲正子さんである。白洲さんは、「入江調」を高く評価したひとりでもあった。
時代がある方向へ一直線になって進んでいるかに見えるとき、その逆や裏、底を往く人も少数ながらいる。先ほどテレビで観た街頭インタビューのおじさんは「前回の東京五輪は、国民みなが一丸となって盛り上がっていた」と語っていたが、巨視的に見ればたしかにそうであったのだろう。しかしわたしはどうも、もっと微細に捉えたときはじめて見えてくる「逆や裏、底を往く」心性にこそ心を寄せる者であるようだ。
白洲さんの文章を道しるべに、潤吉の絵や入江さんの写真について考えをまとめてみるのもおもしろいかもしれない。
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