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藤牧義夫と館林:14 白描絵巻の来歴③ /館林市立第一資料館

承前

 《隅田川絵巻》の源流をたどっていくと、故郷・館林の城沼(じょうぬま)に行き着くのかもしれない。
 館林城は城沼を取りこんだ縄張りの水城(みずじろ)で、城下の藤牧家から沼までは徒歩圏内。《雪ノ城沼》など、作品のモチーフにもなっている。
 沼に面する尾曳稲荷神社には義夫の幼なじみがおり、帰省の際にも訪れている。幼なじみの証言により、制作の事実のみ知られているのが《城沼絵巻》。《隅田川絵巻》から数か月前の昭和9年夏、義夫は障子紙を支持体とした絵巻形式の作品を描いていたのである。

 地図上では細長い形状の城沼だけれど、現地に足を運んでみると、思いのほか壮大なパノラマが広がっているのに驚かされた。位置によっては、隅田川の向こう岸を見わたす感覚と、そうは変わらないのではないか。
 館林城には、往時をしのぶ建物が残っていない。沼のほとりは市民の憩いの場、子どもの遊び場であるとともに、故郷を感じさせる象徴的な存在だったろう。
 義夫の母の里、板倉の雷伝神社門前の方角へと向かうには、細長い城沼に沿って移動していくことになる。岸辺を往きながら、幼き日の義夫は、風景が変化していく視覚的な楽しみを城沼から会得したのだろうか。
 作家の個人的な思い入れを措くとしても、開けた関東平野の穏やかな大沼、なだらかでどこまでも続いていきそうな葦の生える沼辺は、借景となる小さな山々を含めて、じゅうぶんに画趣をそそるものがあっただろう。
 《城沼絵巻》よりもさかのぼる絵巻形式の作例や記録は、いまのところ見つかっていない。
 同じ年の夏と秋という制作時期の近さを考えても、《隅田川絵巻》と《城沼絵巻》にはただならぬ関係性がありそうだ。

城沼

 なお、これはまったくの余談だが……
 館林城最後の城主にして藤牧家代々の主君・秋元家といえば、古美術好きには耳馴染のある、あの「秋元子爵家」。
 大正6年、家蔵の道具・美術品を放出した「秋元子爵家御蔵器入札」は大いに世間を沸かせ、赤星家、佐竹家の売立とともに「入札三尊」として現在も語り草となっている。
 このときの当主・秋元興朝は、絵巻の研究者としても知られた人だった。国宝の《紫式部日記絵詞》(五島美術館、藤田美術館)、《寝覚物語絵巻》(大和文華館)も秋元家の旧蔵品。売立目録をちゃんと確認していけば、より多くの中世絵巻、古画の名品が見出せるだろう。
 秋元家の別邸は現在も城沼のほとりにあり、藤牧家の跡からは、やはり徒歩圏内。幼少期の義夫のすぐそばには、国宝絵巻があった……かもしれない。
 はたして義夫は、そのことを知っていただろうか?(つづく

秋元別邸

 ※絵巻など美術品に関しては、東京・駿河台にあった本邸の蔵に保管されていた可能性のほうが高そうな気もする


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