「ふしみ殿御あつらへ」小袖裂と復元小袖 /丸紅ギャラリー
皇居のお濠に面した、総合商社・丸紅の本社ビル。その3階にある「丸紅ギャラリー」では、丸紅が所蔵する美術品が随時公開されている。
コレクションの核は、染織品。繊維業からはじまった丸紅には、着物のデザインに活かすための参考品として、古い染織品を蒐めた時期があった。
このなかに含まれる桃山期の小袖の裂(きれ)《染分練緯地島取に柳模様小袖裂》が、本展の主役である。
俗に「辻が花」と呼ばれ珍重されてきた種のもので、「ふしみ殿御あつらへ」という書き込みの存在から、秀吉の側室・淀殿所用の小袖の一部と伝えられてきた。
丸紅では1996年から、当時の素材や技法に可能なかぎり忠実に沿って、この小袖を再現するプロジェクトを展開。3年をかけて、小袖の全体像や色彩が蘇った。
本展ではまず、館蔵の小袖裂を、プロジェクトでの再現作とともに展示。下図の右が小袖裂、左はプロジェクトによる再現作からの拡大である。
こうして並べてみると、小袖裂の褪色がいかに進んでいるか、わかってしまう。
現状の小袖裂を観て、そこに古色蒼然とした「味」を感じ取っていたわたしとしては、そういった骨董趣味的な感じ方も捨てがたいし、抜けきらないものがある。
けれど「もとは、こうでしたよ」と、こうもはっきりと提示されてしまうと、なんだか惜しくてたまらなくなってしまった。
こんなにも、鮮やかだったのだなぁ……
提示された「鮮やか」には、2種類ある。天然染料によるものと、合成染料によるものだ。
下の写真が、天然染料による再現作。さらに下が、合成染料による工程品(右2点)と完成品(左の1点)。
さすがにこの写真では違いがわかりづらいけれど、実物では一目瞭然。同じ「鮮やか」でも、天然染料のやわらかさと、合成染料の強さとは、まったく異なっていた。
小袖の古裂を壁際のケース、天然染料の再現作を4面ガラスの独立ケース、合成染料の再現作をその向こう側に展示。この3つが一直線の位置関係となっており、比較がしやすくなっていたことも、違いを際立たせた。
再現プロジェクト後も小袖裂の研究は続いており、今回はその発表を兼ねている。
淀殿所用の根拠とされてきた「ふしみ殿」という墨書について、その記述形式から考察。どうやら現時点での結論としては、かならずしも淀殿所用とは限らないのだという。
これが、展示の第2章だった。
第3章では、丸紅の小袖裂と同じく「辻が花」と俗称されてきた桃山期の作例を紹介。
丸紅コレクションからは1点。他は借用品で、女子美術大学美術館から13点、ご近所の共立女子大学博物館から3点を展示。とくに女子美のものがすばらしく、蓮を描いた裂に、大いに惹かれた。
女子美に、これほどたくさんの辻が花が所蔵されていたとは……と唸ってしまったが、女子美では芹沢銈介が教鞭を取っていたことを思い出して、そりゃあるよなぁと思いなおした。
芹沢は稀代のコレクターでもあり、蒐集と創作が密接に結びついていた。おそらくこれらの辻が花も、芹沢の眼をとおったものなのだろう。
そして、芹沢の後任として女子美で長く教え、学長を務めた柚木沙弥郎さんもきっと、これらの辻が花に親しく触れていたのだろうなと思うのであった。わたしが本展を訪れたのは、柚木さん逝去の報を受けた2日後だった。
この章の最後に出ていた《紅練緯地草花霞模様肩裾四つ身振袖》(共立女子大学博物館)にも、興味をひかれた。裂の状態で保存されていたが、近年になって、もとの振袖の形に再現された作だ。
それにしても、ずいぶんと小さな振袖だ。聞けば、豊臣秀頼の産衣と伝わっているという。
豊臣ゆかりの着物は、切れっ端の状態でしか、こんにちまで伝わりえなかったのだろう。それとおぼしき作例2点を、徳川の江戸城の真ん前で観る……歴史というものの綾を、考えさせられる展示であった。
※古色蒼然とした古美術品が、じつはもともと鮮やかだった……という話に興味をお持ちの方には、こちらの本がおすすめ。
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