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大和路の青き野の上に:2

承前

 大和西大寺の駅を出てすぐに、視界がぱっと広くなる。
 左右を見渡すかぎり広がる平原に、平城宮を再現した建造物がぽつんと建っている。丹(に)色の柱や梁、金色の鴟尾(しび)が青空によく映える。建造物は、この平原一帯がすべからく平城宮の敷地であったことを雄弁に(しかし、もの寂しく)語っている。
 春夏は草が青々と生い茂り、秋冬は一面の枯れ草と薄。進行方向には、三笠山の芝に覆われた山肌も見える。峠を抜ける頃に生じはじめた旅情と感慨は、ここにきて高まりをみせる。
 平原が途切れてから、電車は地下に潜っていく。
 これを合図にして、近鉄奈良駅の改札をいの一番に抜けるべく、身支度をはじめるのである。

 ひとりの乗客、県外からの訪問者としてみれば、平城宮跡の真ん中を走り抜ける風景は、この上なく気持ちがよい。
 ところがよくよく考えてみると、特別史跡の平城宮跡を踏んずけて横断しているのである。
 踏切が常に渋滞気味だったことも気掛かりではあった。この区間を走る電車の本数は多い。地元の人たちにとっては不都合だろう。
 そういった点を考慮して、先ごろ、この線路を現状よりも南側へ移設、地下化する計画が正式発表された。令和42年の竣工を見越しているという。

 39年後。
 自分はなにをしているだろう。生き永らえて、まだ大和路を、美術のまわりを逍遥しているだろうか。
 想像もつかない先の話だが、平城宮跡が今日まで重ねてきた長い長い年月のことを思えばあっという間。時代を超えて現代に伝えられてきたもののすごさを、改めて感じる。

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中央が復元された大極殿。右側の大きな建物が、復元工事中の南門。





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