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両極の美意識 朝鮮半島の陶磁器:2

承前

 東中野の東京黎明アートルームで「ウキウキ! 浮世絵 白白! 陶磁器」を観てきた。
 本展は、近世初期風俗画、寛文美人図、そして肉筆浮世絵という近世の肉筆美人画と、中国・朝鮮の陶磁器からなる二本立て。
 後者の「白白(ハクハク)=白いうつわ」との括りはほぼ中国陶磁に対するもので、古代の白陶から宋代の定窯まで、中国の「白いうつわ」の歩みをぎゅっと濃縮。朝鮮の「白いうつわ」は、2階にあった李朝白磁の大壺1点にとどまる。
 朝鮮陶磁のコーナーでは、高麗時代(918~1392)の青磁から朝鮮王朝時代(1392~1910)の各種の作例が、まんべんなく紹介されていた。
 展示室に入ってまず惹きつけられたのは、高麗青磁の《瓜形水注》。上がりのよい、みずみずしい釉調。掌に納まるほどのサイズ感で、まさに珠玉の小品。

 注ぎ口や把手は木の蔓のように細く、優雅。蓋やつまみなど破損しやすい箇所にもいっさいの欠け・直しがなく、奇跡的なコンディションとなっている。

 高麗時代のやきものに関しては、「高麗青磁」とイコールで結びつけてもよいほどに、そもそものバリエーションが限られている(白磁もあるにはある)。
 本展でも、高麗青磁の瓶と盤が3点続いたあと、李朝時代の作例に切り替わった。

 朝鮮王朝時代のコーナーでは、粉青沙器、青花・辰砂・鉄絵を陳列。小スペースにまとまって並んでいたこともあり、多彩さが目立った。

 土のボディの表面に塗った白い化粧土をキャンバスとし、象嵌などさまざまな技法で文様を施して(もしくは、施さずにそのまま)焼成したものを「粉青沙器」と呼んでいる(展示品の類似作例:《鉄絵蓮池鳥魚文俵壺》大阪市立東洋陶磁美術館)。
 つまり、粉青沙器もまた「白いうつわ」を求めて生み出されたやきものだけれど、向かいのコーナーにある中国陶磁の「白いうつわ」や高麗青磁とは違って野趣にあふれ、のほほんとしていて、かたちもかっちりとはしていない。

 この違いは、粉青沙器だけでなく青花・辰砂・鉄絵にしても、同様のことがいえる。
 ツイッターの投稿で見かけて、一瞬にして打たれたのが《青花栗文面取瓶》。いが栗の描かれた珍品で、絵付けのほんわか、のほほん具合がなんとも愛らしい。
 ぐっとくる、味わいがある。李朝陶磁のひとつの醍醐味が愉しめる作品だろう。

 ここでの例として適切なのは、ほんとうは上のような整った作例ではないのだろう。陶器質で歪んでいて、使用により味がついている、とぼけた絵付けの地方窯の作あたりが妥当だけども……官窯の整った作においてすら、こういった穏やかな絵付けがなされているといった点は、かえって見逃しがたいともいえそうだ。

 格調高く、雅やかで貴族的な高麗青磁。
 くだけた、伸びやかで庶民的な李朝。
 どちらも、中国陶磁を範として同じ朝鮮半島で生まれたやきものでありながら、きわめて異なる個性をみせている。
 そんな高麗青磁と李朝のあいだにも、やはり、前回触れたような作品としての美意識の違いや、受け手側の好き嫌いにはっきりとした差がみられるのはたしかだ。
 少なくともわたしは(これまた前回同様に)高麗青磁も李朝もだいすきで、甲乙つけがたい。
 今回の展示ではそのどちらもを味わえて、さらにそれぞれの抜群によいお気に入りの作品に出合うことができて、この朝鮮陶磁の一角だけでもたいへん満たされるものがあったのだった。

 ※青花(せいか)=「染付」技法の中国での呼称(読みは「チンホワ」)で、朝鮮陶磁でもこちらを用いる。最近、日本の美術館でも朝鮮陶磁の作品名を現地準拠に合わせている傾向がある。「花」はフラワーにかぎらず、広く「文様」の意


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