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生誕100年 白髪一雄展 「行為にこそ総てをかけて」:1/尼崎市総合文化センター

 足を使ったアクション・ペインティングで、世界的に高い評価を受ける白髪一雄(1924〜2008)。

白髪一雄《天富星撲天雕》(1963年 尼崎市)

 兵庫県尼崎市は白髪の生誕地であり、終生アトリエを構えていたホームタウン。
 阪神電車・尼崎駅前の呉服店が実家で、比較的近年まで存命・在住していたこと、さらに、ご本人の温厚で朗らかだったという性格もあってか、地元・尼崎には現在もさまざまなエピソードが伝わっている。
 尼崎市総合文化センター2階には「白髪一雄記念室」が設けられ、作品や資料をいつでも観ることができるが、その名のとおり1部屋分しかない。
 本展では、8月12日に迎えた作家の生誕100年を祝し、県内外から代表作・重要作を借用、同センター内の展示スペースを記念室以外にもフル活用して、白髪一雄の全貌をたっぷり見せる。会期は8月12日を含む、7月27日から9月23日であった。
 このような大回顧展が、節目の年にきっちり地元で開催されるというのは、白髪一雄がそれだけ市民に愛されてきた証左といえよう。
 本展の開催を知ったとき、関西移住に関してはなにも決まっていなかったが、この先どうなろうと、遠征してでも必ずうかがおうと思っていた。移住後にこうして会期内に滑りこめて、嬉しい。

尼崎市総合文化センター


 展示室を入ってすぐに現れるのが、白髪の実家・木市呉服店の再現ディスプレイ。「まぁ、なつかしい!」という市民の方も、いらっしゃっただろうか。

 呉服店の暖簾をくぐった先の部屋では、白髪の生い立ちを紹介するとともに、バックボーンとなった尼崎の街とのつながりを示す品々を展示。2020年の回顧展(東京オペラシティ  アートギャラリーなど)には出ていなかった、地元開催ならではの作品・資料である。
 呉服店の包装紙は、白髪のデザイン。いまはもう店をたたんでしまっているため、入手困難。はっきりいって、欲しい。

 この部屋ではほかに、白髪が蒐めた室町期の日本刀と白髪自身によるその評なども興味深かったが、同じ解説パネルで言及されていた「喧嘩だんじり」にまつわる逸話は、とくに重要と思われた。
 尼崎・貴布禰神社の祭礼は「喧嘩だんじり」「喧嘩祭」と呼ばれるほど荒っぽいものだが、幼少期の一雄少年は、そのさなかに起きた鮮血の惨事を眼前で目撃している。この体験が後年のアクション・ペインティングの源流となっていることを、白髪自身が語っているのだ。

 次なる部屋では、呉服屋の店番をしながら描いたスケッチをもとにした、初期の抽象画を展示。表現としては平面的でも、それに似合わぬ厚塗りぶりで、こういった点にも、のちの画業の予兆を感じさせた。制作の参考にした書籍などの資料も。
 続く「0(ゼロ)会」時代の作では、手のひらや指、爪で描こうとする試みがはじまる。素足で描いた最初期の作《作品Ⅲ》(1954年  横須賀美術館)も、このセクションに出品。しかし、われわれのよく知る白髪作品の爆発的な勢い、絵の具が四方に飛び散るさまは、まだみられない。寸法も小さい。「素足で描いた」というより「素足を使った」くらいのもの。
 ここまで助走の段階にあった白髪は、「具体美術協会」への参加によって急速に飛躍を遂げる。天井から吊るしたロープにぶら下がり、巨大な画面に向かって縦横に滑走するスタイルを確立するのである。
 会場では、そのような “白髪スタイル” を駆使して描かれた代表作の鑑賞に入っていく前に、次のような再現展示の一室が設けられていた。 当時の写真をもとにした再現で、棚や障子などは実物。色彩のしぶきが、生々しく迫ってくる。

白髪本人はパネルだが、こうして写真に収めると、なかなか立体感があるではないか
棚。まあ、こうもなるわな……
障子。時代劇の殺害シーンのようである
制作に使った各種道具

 このようにして描かれた作が、冒頭に掲げたような「フット・ペインティング」の作品群である。(つづく



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