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鹿島と香取:2 /茨城県立歴史館

承前

 鹿島神宮と香取神宮は、国宝をそれぞれ1点ずつ所蔵している。
 本展では鹿島神宮の《直刀 黒漆平文拵》(奈良~平安時代)が出品。香取神宮の《海獣葡萄鏡》(中国・唐時代)は、複製での出品であった。

 鹿島神宮の直刀は、古代の刀剣としては最大の作例で、刃の長さだけで2メートルを超える。
 無骨なつくりで、のちの時代にみられる美麗さはないけれど、なによりその長大さに圧倒される。

 この直刀は、祭神・武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が用いた「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の名を受け継いでいる。
 武神として侍たちから篤い信仰を受けてきた鹿島神宮のシンボル的存在で、「神威」という言葉を強く意識させる宝剣である。
 拵(こしらえ)は、刀身より若干遅れる平安期の作とみられている。名称のとおり、「黒漆」の上に、文様の形に切り抜いた金属の板を貼り付ける「平文(ひょうもん)」の技法が施されている。近年、大掛かりな修理がおこなわれた(詳しくは下記のリンク参照)。


 信仰にまつわる遺物としては、神仏混淆の産物である垂迹(すいじゃく)美術も見逃せない。
 現・観福寺所蔵の4点の懸仏(かけぼとけ)は、近世まで香取神宮の本殿内陣に掛けられていたもの。
 釈迦如来が武甕槌大神、薬師如来が経津主神(ふつぬしのかみ)、地蔵菩薩が天児屋命(あめのこやねのかみ)、十一面観音が比売神(ひめがみ)に対応する本地仏となっている。
 武甕槌大神は鹿島の祭神、経津主神は香取の祭神であり、またこの4神は奈良・春日大社の第一殿から第四殿に祀られる神々でもある。
 武甕槌大神が鹿島立ちして大和の御蓋山に降り立ち、春日大社が創建された経緯があるが、4神を祀るこの形式は春日信仰の影響を受けている。いわば、逆輸入。
 鹿島、香取、春日、そして仏教への信仰が複雑に交差した上に、この懸仏は位置しているのだ。

 こうした神仏習合の遺物は、外見が「仏」そのものであるゆえに、廃仏毀釈のターゲットとなりやすかった。
 本作も、香取神宮から流出して二足三文で売られていたところを近隣の人に救われ、やはり近隣に所在する観福寺へ納められたと伝わる。
 中世の遺物であると同時に、激動の近代を物語る遺物でもあるのだ。(つづく

香取神宮の楼門。元禄13年(1700)に将軍・綱吉の寄進により建立された。国重文


 ※この懸仏は、昨年の「春日神霊の旅─杉本博司 常陸から大和へ」(神奈川県立金沢文庫)でも拝見。

 ※香取市・荘厳寺の《十一面観音立像》(重文)も、この懸仏と同じく、廃仏毀釈により香取神宮の外へ出たもの。もとは神宮寺・金剛宝寺の本尊だった。
 本展には出品されなかったが、いつか拝見してみたい。



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