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雰囲気のかたち―見えないもの、形のないもの、そしてここにあるもの:1 /うらわ美術館

 年の瀬。
 郵便受けに、クラフト紙の大きめの封筒が入っていた。宛名書きは見覚えのある癖字……わたしの手書きだ。
 うらわ美術館「雰囲気のかたち」展の図録が、ようやく届いたのだ。
 展示にうかがった時点では未完成で、予約注文のみ受付中。送料無料で後日送付ということだった。
 宛名のラベルは、展覧会場で記入したもの。過去の自分から贈り物が届いたようで、ふしぎな気分である。

 図録の購入に関しては年々、財布のひもが固くなっている。
 装幀やデザインなど本そのものの鑑賞性や、図版の美しさ・再現性といった観点から、いいと思うもの、本棚に仕舞いきりにならず、何度もひらくことになるであろうものだけを購入するようにしている。
 それなのに、まだできてもいない、束見本すら会場に置いていなかった図録の購入を、迷うことなく決められたのはなぜか。
 展示がよかったからである。図録もよい出来になるだろうという確信がもてるほどだったのだ。実際に読んでみると、やや難解ではあったけれど、購入してよかったといえるものだった。
 展覧会の感想を書きはじめるのは、図録が届くまで、読み終えるまで、後期展示に行くまで……と延ばし延ばしにしてきたが、もう、会期終了が今週末に迫っている。書こう。

 まず、展覧会タイトルについて。
 正直のところ「なんのことやらさっぱり」といった受け止め方をした読者が大半ではなかろうか。わたしもそうで、最初に展覧会情報を見かけたときには、あやうくスルーしてしまうところだった。
 それでも、散文的なコピーの放つ「雰囲気」に惹かれるものがあり、なんとなくクリック。出品作家の顔触れが、なんだかよさげだぞ……ということで、近隣の埼玉県立近代美術館「桃源郷通行許可証」とともに訪ねてみようと決めたのだった。

 展示構成はテーマ≒作家ごとで、アンソロジー的。以下のようなラインナップである(★は存命)。

・横山大観、菱田春草
・中谷芙二子★
・武内鶴之助
・大正から昭和初期の写真家たち
・伊庭靖子★
・牛島憲之
・小川芋銭
・瑛九
・河口龍夫★
・若林奮
・福田尚代★
※ポスターやリーフレットのビジュアルは、横山大観と若林奮

 前後の作家どうしの脈絡は、皆無に等しい。というか、安直な連続性を感じさせぬよう、意図的に時代や分野を違えた並びがとられている。
 離れ小島がいくつもある。その周囲を、大きな靄(もや)がとりまいている……そんな構成である。

 島々を渡っていくうちに、第一印象の「なんのことやらさっぱり」がじわじわと融解していくのがわかった。いまとなっては、むしろ具体性に富んだ親切な展覧会名だなと感じるに至っている。

雰囲気のかたち―見えないもの、形のないもの、そしてここにあるもの

 雰囲気とは、目に見えるものではないし、なんらかの形をとって存在するものでもない。
 「雰囲気」は、「空気」「生気」「気配」だとか「心象」「関係性」といった言葉に置き換えることも可能だろう。
 「光」や「気象」でもよかろうが、この場合は厳密には形をもち、物質として存在はしている。ただ、それは非常に微小な粒子の集合体であり、絶えず姿を変えていく。人間の視覚がかろうじて捕捉しうるぎりぎりのもの、とでもいえよう。
 無形もしくは不定形でありながら、たしかにその存在を感じ取ることができる「雰囲気」を、どうにかして描きとめよう、描き取ろうと努めた美術家たちがいた。その試みの跡、それぞれの「雰囲気のかたち」を追うのが本展である。(つづく



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