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応挙と蘆雪(+古九谷様式):2 /東京黎明アートルーム

承前

 地階の展示室を入ると、右側に長沢蘆雪、左側に円山応挙の作品が並んでいた。

 蘆雪《柳双狗図》。
 こちらにお尻を向けた子犬の簡潔この上ない線描が、なんとも飄逸である。
 奥にいる子犬は、もふもふ。毛色の違いだけでなく、毛並みの違いも蘆雪は描き分けているようだ。

 ※上の画像はだいぶ赤かぶりしていて、実際の色みは下記リンクのものに近い。

 描き方こそ違えど、2匹ともぱぱぱっと仕上げている。お茶の子さいさいといった趣で、子犬の特徴を最短距離でつかめている感を受ける。
 同じモチーフを繰り返し描いていくうちに、こなれてきた面があったのであろうし、そもそも形態の把握という面で、蘆雪という画家は天才的であった。

 上のレビューに画像が出ていた《牧童図》も、蘆雪の「形態把握の巧さ」を感じさせる作。
 闇のなかをのろりと往く黒い牛は、輪郭線を用いずに、水と墨の交わりだけで表されている。
 立ちこめる霧のなか、月明りをたよりに轡(くつわ)をとる童。牛の黒毛に埋もれるかのようで、牛の大きさを印象づけている。闇夜にあれば、まさにこのように、ものとものの境目がおぼろげに見えてしまうこともあろう。

 応挙の《観瀑図》が、おもしろかった。

 「高士観瀑」は東洋絵画のオーソドックスな画題で、唐画系の絵師により幾度となく描かれてきた。
 大きな滝を、悠然と見上げる高士。本作でもその定形は確実に踏襲されているのだが……なにかがおかしい。
 高士たちが通例と同じく中国風の身なりをしているのに対し、風景のほうが、どうも日本の自然にみえてしまうからではないだろうか。
 府中市美術館の「江戸絵画お絵かき教室」展に、応挙の《瀑布図》(個人蔵)が出ていた。滝の描写は本作にとてもよく似ているが、滝壺や高士は描かれていない。こちらはすんなり入ってくるものがあり、違和感の裏づけを得た思いであった。
 とはいえ、そういった若干のちぐはぐさを含めて、魅力を感じる一幅である。

 応挙《花鳥図》は、中国絵画の影響を受けつつも、真正面から受け止めている。「自家薬籠中の物とする」とは、こういうことであろう。香り高く、格調ある作。

 中国・唐時代に楚蓮香(それんこう)という美女がいた。彼女が歩けば、そのかぐわしい香りに誘われて蝶や蜂が舞い寄ったという。
 楚蓮香は応挙が何点も手がけた人気の画題で、清廉な白い花に小鳥の飛び交う本作も、どこか肌の白い楚蓮香を思わせるところがあったのだった。

 ※応挙の描いた楚蓮香は、こちらのページに画像が出ている。


 近世絵画関連では、これらをはじめとする地階の作品に加えて、2階に応挙の書状2点、1階の古九谷の展示室の奥には、応挙の流れを汲む近代の日本画家・山元春挙の屏風が出ていた。
 一見して応挙《藤花図屏風》(根津美術館  重文)を下敷きにしたものとわかるが、その前提で観ると、春挙の工夫の跡が浮き上がってくる。

 上の投稿で指摘があるように、応挙は藤の花を彩色・細い筆で写実的に、幹・枝を縦横に走らせた太めの筆で簡略化してメリハリをつけているいっぽう、春挙は墨一色で描いている。
 応挙作ではモチーフは藤のみだが、春挙は藤のところどころに雀を配置し、地面を描き、つくしやスギナを生やしている。金地と、金砂子を散らした地の処理も異なる。
 春挙の、周到に考えこまれた仕掛けが楽しい作である。

 ——絵画とやきもの。
 ジャンルが異なり、さらに今回は時代も重ならない作品で、バラエティ感ある充実した展示であった。
 次回は、一転して良寛さんの書。
 全室が、良寛さんのつつましい世界に染まる。楽しみである。


入り口には、藤の花の鉢が置かれていた。



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