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鑑としてのルオー

 図書館で『教科書名短篇』というアンソロジー本を借りてきた。この本によって懐かしい文章との再会をいくつも果たしたが、そのなかの一篇に遠藤周作「ヴェロニカ」がある。
 ヴェロニカとは、十字架を背負うキリストの顔を拭ってあげた女性の名前である。この女性について述べた文章の書き出しで言及され、挿絵としても掲載されていたのが、ジョルジュ・ルオー(1871〜1958)によるヴェロニカの油彩画であった。そしてこれが、わたしがルオーという画家を認識した最初だった。
 それから、東京の美術館で何度もルオーを観た。厚塗りも厚塗り、ごつごつとした岩のようなマチエール、線というよりは面というほどぶっとい線。カンバスから飛び出したがるような(じっさい、けっこうせり出している)ルオーの絵は視覚の愉しみにあふれ、観ていて飽きることがなかった。
 その後の一時期、ルオーがどうも大味で野暮ったいものと感じる「反抗期」のような時期を挟みつつも、いま、またルオーを見つめている。相変わらず厚く塗りこめたマチエールとぶっとい線を凝視しているが、今度はもう少し深い。歳を重ねて感じ方が変わってきた、といったことなのだろうが、確たるきっかけもあった。
 出光美術館で《聖書の風景》に圧倒されたのだ。
 ルオーは90歳手前まで生きたが、その最晩年に宗教画家としてさらなる高みに達した。崇高にして凄まじい、鬼気迫るとすら言ってもよい絵を描いたのだ。それが《聖書の風景》と題するシリーズ。視覚的な素材感のおもしろさを超えて胸に迫ってくるなにものかに、わたしはただただ心を奪われるばかりであった。
 ルオーが年老いてなおひと皮剥けたように、可能性の芽を自分から摘まずに、よい方向へと進んでゆきたいものだ。人より遅くたっていい。後悔だけはしないように……

 茨木のり子に「わたしが一番きれいだったとき」という詩がある。その最後の一連を覚えているだろうか。わたしがこの詩を知ったのは国語の教科書だったが、最後に関しては記憶からすっかり抜けていた。

 だから決めた できれば長生きすることに
 年とってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように
               ね

 ここでいう「年とってから凄く美しい絵を描いた」とは、先に触れた、ルオーが最晩年に到達した画境を指していると思われる。
 そのことを踏まえると、一つひとつの言葉がより荘重に響いてこないだろうか。
 この詩も、もう一度頭から、かみしめるように読み直してみたい。

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