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みちのく いとしい仏たち:1 /東京ステーションギャラリー

 1月2日——今年の「美術館初め」は、東京ステーションギャラリーの「みちのく  いとしい仏たち」であった。北東北の素朴この上ない仏像がたくさん拝見できる本展は、初詣を兼ねてもいた。
 昨年12月からはじまり、ちょうど本日でフィナーレ。終了間際の土曜日に、2度めの鑑賞に行ってきた。

 展覧会を象徴するお像が《山神像》(江戸時代  岩手・兄川山神社)。ポスターやリーフレットに起用され、多くの人の心を一瞬でわしづかみにしている。

  「いとしい」という、仏像に対する形容としては独特ともいえる言葉の選択が、このお像を観ていると腑に落ちてこよう。

 だが、ビジュアルとしてかわいい、造形的におもしろいことのみに焦点を定めた展示かというと、そうではない。
 地形や風土、土地の人の生業・暮らし、その積み重ねとしての歴史。これらと分かちがたく結びついて生み出されたお像が、本展の主役だ。上の山神さまも、林業にたずさわる人びとから篤く信仰されているという。
 青森県今別町の本覚寺に伝わる《多聞天立像》(江戸時代・寛政2年〈1790〉頃)。いわゆる多聞天とはあまりに異なる「マシマシ」「全部のせ」ぶり。

 装束やかぶりものは、閻魔さまを彷彿させる。胸につけてるマークは宝珠。大黒さまのシンボルだ。冠越しには龍神が顔をのぞかせている。
 本覚寺は、津軽海峡に面する漁港のお寺。地元の漁師たちが海の安全と大漁豊作、その他もろもろを、このお像に祈っている。どんな願いも、すべて受け止めてくれそうなお姿である。

 擬人化された2体の《厩猿(うまやざる)像》(江戸時代  岩手・二戸歴史民俗資料館)。

 猿は馬を守る存在とされ、猿の頭蓋骨を厩舎に祀る風習が南部地方には伝わっている。本作も、農家の厩(うまや)にあったもの。
 当時の馬は農耕に運搬にと、大車輪の活躍をした。いわばトラクターとトラックを兼ねた位置づけ。家の命運を一身に担っていたともいえ、それゆえにとても大事にされたのだろう。

 《六観音立像》(江戸時代  岩手・宝積寺  岩手県指定文化財)は解説のなかで「東北遺産の称号こそふさわしい」と評されるもの。一般的な六観音とは大きく違った特異な造形で、高さはみな108センチ前後もある。
 これだけ並ぶと、ちとこわいなとすら思ってしまったのだった。

 本作の制作背景は詳しくわかっていないものの、沈鬱な表情や丁寧に手をかけられた造形、また周辺の自然の険しさから、雪崩や土砂崩れなどの災害に巻き込まれた人びとを供養するための特別な像では……との見方が披露されていた。
 わたしが直感した畏怖は、あながち的外れではなかったのかもしれない。

 ——本展のお像はいずれも北東北、つまり青森、岩手、秋田からやってきた。
 筆者は宮城の出だが、同じ東北でも北側・日本海側は格段に寒く、雪深い。宮城や福島には平野が広がるいっぽう、北東北の3県は山がちな地形でもある。とりまく自然環境の苛烈さには、大きな違いがあるのだ。
 そのようななかに生きようとすればこそ、心の拠り所は必要。そうして生まれたのが、これらのお像なのだと思われたのだった。(つづく


美術館前にて。ロケット鉛筆を思い出した


 ※本展への期待を込めて書いた回。



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