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古典と創造 鯉江良二と井上有一:1 /うつわ菜の花

 昨年夏に82歳で亡くなった陶芸家の鯉江良二さんは、常滑に生まれ、美濃で長く活動し、晩年にまた常滑に戻った人だ。この間に、愛知県立芸術大の教授を務めている。
 東海地方は、古代から陶磁器の生産地として全国に製品を供給し、桃山期には志野・織部といった茶陶を生み出した土地。
 鯉江さんはその伝統を一身に背負いながら、軽やかに再解釈し、表現しつづけた作家だった。
 自分の顔を型にとった《土に還る》、《チェルノブイリ》《ノー・モア・ヒロシマ、ナガサキ》といったメッセージ性の強いオブジェ陶も、あくまでそのひとつの形であろう。
 昨年の訃報記事で代表作として挙げられていたのもこういったオブジェ陶だったが、個人的には、地域の伝統をより直截的に示す「うつわ」の仕事のほうに、より関心をひかれる。

 そんな鯉江さんの作品を観るために、小田原「うつわ菜の花」へ。
 店主は案内状で「茶碗、壺では唯一無二の人」と評していた。今回は鯉江さんのうつわが観られる。楽しみだ。

 展覧会名は「鯉江良二と井上有一 やきものと書。」。
 鯉江さんのうつわと井上有一(1916~85)の前衛的な書が取り合わせられている。いったいどういうことか……意図を探り探り、観ていった。

 ぐい呑みや徳利も一部あるが、案内状のとおり壺と茶碗が主体。
 瀬戸黒や織部、李朝、琉球の焼き締めなど、ベースとした古典の姿が作品の向こうに見えるが、その魔力にとらわれない自由な精神で、土の可能性が追求されている。古い作品のエッセンスと鯉江さんの創意が、まるで菊練りされた陶土のように、粒子単位で混ざりあっている。

 わたしは李朝初期のもののような口造り・フォルムの白磁小壺が気に入った。肩のあたりには「良」の字が大きく、刀でスパッと斬りつけたように、箆で刻まれている。
 この壺において、李朝の存在は、近いとも遠いともいえる。(つづく)


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