見出し画像

近代工芸の巨匠たち /日本民藝館

 4月4日、日本民藝館がリニューアルオープンを果たした。第1弾は古作を集めた名品展だったが、民藝館の常設はふだんから充実していて、毎回が名品展のようなもの。そんなこともあって、食指が動くことはなかった。改装から4か月が経過したいま、満を持しての訪問である。
 現在は第2弾の名品展「近代工芸の巨匠たち」が開催中。民藝の巨匠というと濱田庄司、河井寬次郎、芹沢銈介あたりがまっさきに挙がるなか、わたしが主に期待していたのはまず芹沢だった。
 土曜日のこの日を選んだのも、芹沢が手がけた小襖が西館で限定公開されているため。小襖は現・西館、もと柳の邸宅の建具だったもので、現在は保存の関係で建具としての役割を終え、本館の展示室でときおり公開されている。それがいまだけは特別に、もとあった部屋に立てつけた状態で公開されているのだ。
 細かな文様と色彩にあふれた賑々しいこの小襖は、明るい展示室で観れば鮮烈で “強い” ものと受け取ったかもしれない。しかし、この柳邸の1階の薄暗い客間においては、古民家の柱や梁に囲まれて浮くこともなく、つつましく、空間の構成要素をなしていた。作品の“本来あるべき場”の問題に、またしても思いをめぐらす。

 西館から、本館の企画展示室へ。今回の改装の主眼は、この企画展示室を開館当初の雰囲気に近づける点にあった。壁はありふれた白い壁紙から静岡産の葛布へ、床材はフローリングから大谷石へ。入って右側の壁一面がガラス張りになり、展示の幅も広がった。
 「近代工芸の巨匠たち」は、蓋を開けてみれば、濱田庄司がかなりの点数を占めていた。濱田は民藝館の初代館長であるし、河井や黒田辰秋、富本憲吉らと違って最後まで民藝運動と袂を分かたなかった。点数が多いのは当然かもしれない。

 柳とは別の道を歩んだかつての同志のなかでも、とりわけ早い時期に民藝と訣別したのが富本憲吉。そんなこともあってか、これまで民藝館の展示で富本の作品を観た記憶があまりない(多少はある)。今回は「近代工芸の巨匠たち」というテーマゆえやはり多めに出ていて、これが存外によかった。
 民藝館にある富本は、故郷の大和・安堵で作陶した大正期のものがほとんどで、昭和初期の東京時代にかかるものが多少。いわば駆け出しの時期にあたるが、洋行帰りの血気盛んな芸術青年の意気と、若干の迷いのようなものが同時に感じられて、それが人間くさくて、どうにも魅かれてしまうのである。もうちょっと具体的にいうと、モデルとした古いうつわの面影が、後年のものよりもより直截的に感じられるのだ。
 富本は作風の変遷を追いやすい類の作家で、わたし個人としてはそれぞれに思うところがある。
 一般的には、金銀彩や色絵が代表作と目されることが多い。ポスターとして映えるのはたしかにこちらであるが、玄人筋には白磁が高評価される。そんなふうに言っておいてなんだが、わたしも白磁に惹かれるひとりだ。そうであっても、この初期の朴訥とした風情もやはりよいものだなと思ったのだった(なお、富本のこととわたしの奈良びいきは、あまり関係はない)。

 富本に話が逸れてしまった。
 わたしが今回期待していたのは、芹沢に加えて黒田辰秋、柚木沙弥郎さん、鈴木照雄さんといった面々だった。辰秋も沙弥郎さんも思ったほどには出ていなかった。濱田を減らして、他の作家さんを手厚くしてほしかったなあというのが偽らざる本音。
 鈴木照雄さんに至っては、出品がなかった。断っておくと、わたしが普段遣いしている食器は、ほぼこの照雄さんのもの。宮城県の方なので、次回「棟方志功と東北の民藝」に期待か。

 東京国立近代美術館でこの秋開催される「民藝の100年」展のチラシも刷りあがっていた。近美が民藝展を開催する意義が奈辺にあるか、ホームページではちょろっと言及されていてなんとなくはわかったが、どうなるか。上から目線で恐縮だが、「お手並み拝見」である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?