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岡﨑乾二郎「TOPICA PICTUS Revisited」/Blum & Poe

 考古に仏像、日本美術と、渋めのポストが続いている。
 気分転換というわけでもないが、岡﨑乾二郎さんの個展について書くとしたい。
 とはいっても、岡﨑さんの文章は雑誌に寄せた短いものを読んだくらいで、著書は一冊も手をつけていない。岡﨑さんのコアなファンの方々、どうかお手柔らかに……

 岡﨑さんの肩書きは「造形作家・批評家」。
 平面・立体を問わずみずから手を動かし、同じその手でペンを執る。作家としての彩り豊かで自由、ざっくばらんとした明るい雰囲気と、物書きとしての理知的でどこにも隙なぞみせない批評ぶりは、一見しただけではとても、ひとりの人物によるものとは思えない。それが、率直な印象だった。
 ただ、その「明るさ」というのがやっかいである。
 明るい色を選んで楽しげに描かれていたとしても、ただあっけらかんと、暢気な気分で筆を走らせたとはかぎらない。じつは真反対の感情が込められていることだって、あるではないか。
 光が強ければ影も濃くなる、ともいう。最初から暗いものよりも、明るさのなかに影を感じさせるもののほうがどんなにか怖いだろう……岡﨑さんの明るさは、おそらく後者にあたる。

 ※回顧展「視覚のカイソウ」(2019年)と、今回の展示作品のリンク

 2020年の秋、国内4つの会場でほぼ同時期に「TOPICA PICTUS とぴか ぴくたす」という個展が開催された。
 展示と同名のシリーズ138点は、すべて同じ寸法の小品。食パンくらいの大きさ・厚さのキャンバスに、それこそ食パンにジャムを塗る要領で、色とりどりのアクリル絵の具が展開されている。
 岡﨑さんがこのシリーズをはじめたのは、同年の3月。展示まで半年あまりだ。
 驚異的な制作ペースも、2020年の3月に世界がどういった状況下にあったかを思い出せば少しは納得できる。いまやちょっぴり懐かしくなったあのキーワードーー「ステイホーム」の絵画なのだ。

 このとき、最難関の豊田市美術館含め、4会場すべてをまわった。バラバラに展示されたすべてを直接観たことになる。
 全作品を収めた、ハードカバーのきれいな作品集が出ている。

 キャンバス上をペインティングナイフが走った跡、ストロークからもれた絵具の溜まり、べったり塗られた厚みなどが生々しく感じられ、わたしには純粋に「明るく、きれい」だと感じられて、魅かれるものがあったのだった。
 あのサイズ感もいい。すべて同じ大きさ、色遣いの異なる画面が等間隔に並んでいる会場風景も、心地がよかった。不安の多い世情のなかで、視覚的な楽しみに救われた、とまでもいえよう。
 ただし、タイトルに目を向けると意味深長なものが大半で、少なくともわたしが絵から受け取ったつもりでいたような「明るさ」はないものがほとんど。
 このギャップには、こまった。あまり好き勝手に観るのは、まずいのかもしれない……

 絵について考えるとき、絵のみを観て事にあたりたい――というのは、理想論に傾きはするけれど、やはり矜持としていたいもの。
 岡﨑さんの場合は、作家自身によるテキストがある。聞かれるまま生半可に絞り出したわけではない、絵と一対一で併置・対比できる重厚な言葉があるのだ。
 思想や思考の具現化がテキストであり絵であるとすれば……さらに、テキストと絵とが一直線に並べられうるものであるならば、そのどちらにも触れて鑑賞をすべきではないかと思われた。
 もっとも今回の個展では、作品のタイトルをあえて確認せずに、視覚的な楽しみに終始することを徹底した。問題をいったん棚上げしたともいえるし、純粋に観たうえで、あとから答え合わせができるようにしたともいえよう。
 その見方が、作者にとって正しいものかという点も含めての、答え合わせ。

 ――なお、本展へは「考古に仏像」の早稲田大学「下総龍角寺」、「日本美術」の国立能楽堂「秋の風」をハシゴして向かった。西早稲田駅から副都心線で北参道駅。あとは徒歩で、帰りは渋谷駅から乗った。なんというか、すごい組み合わせだ。
 この欲張り精神で、岡﨑さんの大著も読みこなしていきたいものだ。図書館の返却期限までに……


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