市長の座
千葉県市川市に住んでいる。
江戸川を渡ればすぐ東京なのに「千葉ですか!遠くて大変ですね」と言われたり(千葉市や千葉駅のイメージが念頭にあるのだと思う)、同じ県内の市原市と取り違えられて台風や停電の心配をされたり、お隣の船橋市とも混同されがちであったりと、なにかにつけて微妙な扱いをされる自治体だけれど……適度に便利で暮らしやすく、個人としては気に入っている。
川ひとつ越えるだけで、都内とは交通量が違っていて、心なしか人も穏やか。高架化されていない京成の電車が人家をすり抜けていくさまは気持ちがいいし、鉄道沿いを少しはずれると田畑が広がるのもよい。産直野菜の無人販売所など、そう珍しくはない。海あり、史跡あり、古刹あり。それに、家賃相場は安め。都営地下鉄だって、なぜか通っている。なかなかにいい街だと思っている。
そんな市川市がここ数年、世間様をにぎわせた出来事といえば――前市長の挙動だろう。
米国テスラ社の高級電気自動車を公費で購入したり、同じく公費で新庁舎の市長室にシャワーを導入したり。案の定というか、このお騒がせ市長は先日の選挙で惨敗し、市長の椅子から転げ落ちた。
その「椅子」とやらのことで、また話題になっている。このページで政治批判をする気はさらさらないのだが……とにかく、こちらのニュース記事をご覧になってほしい。
どんなもんかしらと思いきや、どう見てもこれは、ジョージ・ナカシマ……!
とくに椅子は、わたくしあこがれの「コノイド・チェア」。しかも肘掛けつきの、まさにわたしが欲しかったモデルである。
受注生産品とはいえ、チェアのほうは特注仕様というわけでもなさそうだから、「198万円」の内訳の多くはおそらく机のほうだろうとは思われる。
記事のコメントやツイッターなどの反応をみると「200万の机と椅子、けしからん!」といった論調一色。ジョージ・ナカシマの名に言及する声は、ほとんどない。
世間的にはまあそんなところなのだろうけれど、「へぇ、こんなにカッコいい椅子があるんだ」という風流心を保てる人がひとりでも多くいてくれれば、この世の中はもっと暮らしやすくなるのではないか。
むろん、前市長を擁護したいのではない。
ひどい税金の無駄遣いだと思うし、「税金で高額なものを購入」というのはテスラ車やらシャワー室やらとやることの方向性がまったく同じで一貫性を感じるから、「落として正解」だったろう。
わたしが前市長にツッコミたいのは「この椅子、バリバリ仕事をするにはまったく向かないでしょ」ということ。
ジョージ・ナカシマの家具に日常的に触れていた時期があり、その後もときおりお店で座らせてもらってきた身としては、そういった感想を述べざるをえないのだ。ある意味で、そこらへんのみなさんよりも「無駄遣い」の内実をよく知っているとすら思える。
鷹揚に身を預け、寛ぎのときを過ごすには、これほど快適なものもない。ウィスキーの水割りを傾けるなど、最高であろう。
しかし、座面はするっすると滑りやすく、重量があるので椅子を引くのもはばかられる。そのまま引けば、床は短期間でたちまち傷だらけになる。市長室の床がどんな素材か知らないが、かなり傷ついてしまっていることと推察される。
大木にいだかれるように三方を包み込まれる(し、椅子を引くのもはばかられる)ので、一度座ったらしばらく、立ち上がる気をなくしてしまう。
市長がどっしりと腰を据えて構えてくれているのは、一市民としては頼もしいかぎりだけれど、腰が重いようでは困りもの。
おまけに机の両端には切れ込みが入っていて、ペラの書類などいつのまにかスッと落ちてしまいそうだ。要らぬ心配かもしれないが。
メーカーの方には申し訳ないけども、バリバリお仕事をしてもらうには、コロコロのついた例のオフィス用の椅子のほうが、よほど機能的でよいと思う。
記事にもあったとおり、新市長の手腕により、このジョージ・ナカシマの椅子と机はただいまネットオークションにかけられている。まさに早業、逆コース。
いわくつきのグッズとなったこれら、今度はどこにお嫁入りするのだろう。少しでも落札額が上乗せされて、損失分が補填できるようになることを祈るばかりである。
※古代、市川市には下総国府があり、市原市には上総国府があった。人の集まるところには市場が立つ、といった由来が共通するのであろうか
※都営新宿線の終点・本八幡駅は、都営線の駅でありながら東京都外・市川市内にある
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