池大雅 陽光の山水:4 /出光美術館
(承前)
旅を愛した大雅は、現地での体験をもとにした「真景図」をいくつか描いている。第3室の一角には《浅間山真景図》(個人蔵)、《比叡山真景図》(練馬区立美術館)といった作例が集められていた。
上図が《比叡山真景図》だが……描写は中国の山水そのものである。
このように大雅の真景図は、写生というよりは、中国の山水画を意識した描きぶりになっているのがおもしろい。いわば「中国風のフィルターを通して見た日本の風景」。日本の風景を前にして、大雅は遠く中国の山水を想っていた。
続いて出ていた、12幅からなる《日本十二景図》(個人蔵)は対照的ともいえる存在。
水墨の簡略化された筆づかいで、余白はたっぷりとられる。瀟洒な、和様を感じさせる表現といえよう。
こちらは、真景図というよりは名所絵。現地を訪ねずとも、既知のイメージだけで描くことができそうではある。じっさい、大雅が12か所すべてに足を運んだとは考えられていないようだ。
中国絵画は大雅にとっての規範であり基盤でもあったが、もちろんそれにかぎらず、このように、当意即妙な描き分けもできた。
第1室の《嵐峡泛査図屏風》(個人蔵=こちらのページに部分)も同様の例で、この作品には「擬光悦」との款記がでかでかと入っている。
光悦というより「光悦とその仲間たち風」、いまでいう「琳派」だと読み替えて考えれば、まあたしかにそうなのかなという絵である(片ぼかしで表された楓の木の幹は、光悦が引く線の肥瘦の「肥」を思わせなくもない)。
ところで、浅間山、比叡山とも、歌枕のイメージは結びつきがたいと思われる。
そういった地を描くときには「中国フィルター」をかけるいっぽうで、《日本十二景図》の松島や宮島、錦帯橋、富士三保松原、《嵐峡泛査図屏風》の嵐山など、歌枕であったり、中国にはない特有の名所という側面の強い地を描くにあたっては、中国風を抑制し、和の趣をかもす……一概にはいえないだろうが、そんな傾向があるのかもしれない。
——本展の公式図録に関しても、触れておかねばなるまい。
まず意外だなと思ったのが、横長の仕様であったこと。A4判、右開き。
横長にすると、タテ位置の掛軸などは、おのずとかなり小さな図版になってしまう。そのため最初はどうかなと思われたのだが、じっさいに手にとってみると、掛軸の全図のかたわらには部分拡大図が設けられるなど、しっかりフォローされていた。
屏風や画帖などが、このヨコ位置の画面と相性がよいことはいうまでもない。
さらに、コデックス製本が採用され、180度開いてもびくともしないようになっている。これにより、とくに大画面の作品が非常に観やすい。大雅展の図録としては、出色の出来だと思った。
次は、いつになるかわからない大雅展。
そのときまで、この図録で引き続き楽しませてもらうとしたい。
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