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[告知]文芸フリマ東京2022春に参戦します[5/29 ア13]

 こんにちは、みなさん。ゴールデンウィークからおよそ二週間が経ちお休みムードも薄れて五月の下旬。相も変わらず不安定な気候で気分も晴れないことが多いがいかがお過ごしだろうか。ゴールデンウイークで思い出したのだが、ちょっとしたぼくの母についての自慢をさせてもらってもいいだろうか。無論、ダメと言っても続けるのだが。今回のメイントピックはぶっちゃけ掲題ですべて完結してるので他に話す内容がないのだ。まあ、許してほしい。

 ゴールデンウィークは皆さんはどこへ出かけただろう。自主規制のなくなった初の大型連休ということもあってどこもかしこもにぎわっていたと聞いている。かく言うぼくも母が突然「旅行に行きたい。私は生まれてから一度も旅行という経験をしたことがない不幸だ」と、絶対嘘だろそれと叫びだしたくなるわがままを言い出したので京都へつれて行くことにした。ちなみにもちろん母の言葉は嘘である。コロナが始まる前はしょっちゅう友達と箱根だ草津だ車を飛ばして弾丸旅行に出かけていたのをぼくは知っている。
 急な話だったので、宿泊先がとれるかは不安だったが幸いにして問題なく、一泊二日にしてはまあまあ計画的に動いたおかげかいろいろなところを見廻れて満足していたようだった。途中で大雨に振られて午後ずっとホテルにいなければならなかったことなどを除けばぼくも概ね良い旅行だったと実感している。

 さて、この話、冒頭で母についての自慢話だと断ったように、俺のかーちゃんすげーんだぜ!というのが結論なのだが、事件が起こったのは帰りの新幹線の目的停車駅に降りてすぐのことだった。すっかり日も落ち、また、2日前の大雨で、気温も低くなっていたために母はスカートを履き替えたいと言った。そして、荷物を預けて着替えを持って化粧室へ消えていった。
 おかしい。いくら何でも遅すぎる。着替えると言って30分くらいは経過していた。しびれを切らしたぼくは、母に電話をかけようとスマートフォンを取り出す。その時だった。若い女性がトイレから、何か非常に慌てた様子で飛び出した。数秒と待たず、女性は駅員を伴ってトイレに戻る。駅員は今度は別の駅員を呼び、ついには10数人弱の人数が集まった。そのうち一人はAEDを携えており、いよいよ緊急事態であることは火を見るより明らかになった。
 母が戻らない。まさか……。ぼくの脳裏にAEDを携えた駅員の姿が再び浮かんだ。そんな、旅行の帰りに……。ぼくの最悪な想像が自走し始めようとエンジンをうならせた直後、トイレから真っ白いコートを着た母がさっそうと歩いてきた。ぼくの妄想は妄想に過ぎなかった。安堵する間もなく母はぼくの目の前に立つと残りの手荷物をぼくに渡してこう言った。
「人が倒れたみたい。多分何かできることがあるから、ちょっと行ってくる」
 ぼくの母は医療従事者である。ぼくたちが自動車免許を取得する際に教習所で受けてはその一時間後には忘れているような、応急手当などは魚が水を泳ぐような手際でこなせるし、なによりも数十年現場を勤め上げた胆力は、人が倒れた程度で慌てふためくような柔さではない。20年以上母の背中を見てきたが、その日の母のそれはとても大きく頼もしかった。

 しばらくして、駅員に囲まれて、大きな布で簡易的に作られた担架に横たえられた壮年の女性がひとり、ぐったりした様子で運び出された。母はその後ろから、女性の手荷物であろう背嚢をもってついていた。母は女性を取り囲む駅員の一人に荷物を預け、その後、ぼくと母は改札の外へ運び出されてゆく一群を見送った。駅の外には救急車がすでに待機しているのだろう。

 母は女性の搬送を手伝う際、誤って手を切ってしまったらしく「損した。助けなきゃよかった」と言っていた。ぼくは母の性格上、それが照れ隠しであることを知っていたので少しおかしくなった。ぼくは駅員にもらった絆創膏と消毒液で母のケガを手当しながら母を誇らしく思った。その日の夜、母のケガと行動に敬意を表して少し高いお店で夕食をご馳走した。


 さて、身内びいきで面はゆいが、どうせここに書かなければ誰にも知られない話であるし、どうかこれを読んだあなたも母を褒めてほしい。そして母のように利他的にならなくてもよいけれど、一日一善、少しだけ世界が明るくなるような何かをしてみるのも一興ではないだろうか。

具体的には?そうだなあ。
5/29 東京流通センター第一展示場 ア13に来て「故買屋」を購入するとかね!!

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会場でお待ちしています。

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