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とかく生き辛い世の中を、自分なりにサバイブする為に

はじめに

みなさま、ごきげんよう。

遂に4月になってしまった。大学を卒業してから、丸2年が経過し、時の流れの早さを感じている今日この頃である。

さて、今日のトピックだが、「生き辛い世の中を、どう自分なりに生き抜くことができるのか」という話題である。

なので、「毎日とてもハッピー!悩み事なんて一切なっしんぐ!!」という人にとっては共感できない内容となっている。この事をご了承いただいた上で、このドキュメントの先に進んでいただければと思う。

加えて、このドキュメント内に書かれていることはあくまでも私の個人的な意見である。とにかく毎日辛すぎて、消えてしまいそうになっている場合には、心療内科等の専門家の意見も伺うことをオススメする。あくまでも"眉唾もの"として、読み物として、捉えていただけると幸いである。

なんか生き辛いよね

夏目漱石の『草枕』の冒頭には、以下のような文章がある。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
(草枕|夏目漱石)

あまりにもロジカルに切り込みすぎると嫌われる。感情を重視し過ぎると、それに流されてしまう。自分の意見を強く押し通すと、周りから「やんややんや」言われて窮屈になる...... 主に人間関係の難しさを表現した文章だが、現代でも同様の窮屈さを感じている人が多いのではないだろうか。

人間関係のみならず、生き辛さを感じる要因は無限に存在している。

感染症による自粛、SNSによる誹謗中傷、他人からのマウンティング、世間の同調圧力、家族からのめんどくさい圧力、受験、就職活動、転職活動、婚活、妊活、ED、収入格差、巷に溢れるネガティブなニュース、ハラスメント、旧時代的な思考、恋人との関係、友人との付き合い、仕事、学校、隣人の壁ドン、満員電車、よくわからんネットの広告...

置かれている立場や、その人自身の性質や感受性によって、それこそどんな事柄であっても「生き辛さを感じる要因」となり得る。しかも、生き辛い要因が、他の生き辛い要因を生み出してしまうことさえある。雪だるま式に増えちゃったりもする。

全くもって面倒くさい世の中である。同時に、生き辛さを感じている自分にもイライラする。なんでこんなに生き辛さを感じちゃうんだろうか。

SNSを見ていると、キラキラした人達のキラキラした投稿が目に止まる。文章からはちょっとしたマウンティングすらも感じる。こんな投稿に引け目を感じてしまう自分を呪うと共に、投稿者にもそっと呪いをかけてしまう自分がいる。

でも、一歩立ち止まって考えてみれば、人間は誰しも大なり小なり「生き辛さ」を感じているのではないだろうか。「僕だけが・この世で・唯一・生き辛さを感じている」なんて考えてしまうことがおこがましい。

2020年から2021年にかけて、僕はこの「生き辛さ」を放置していた。それが自分の心を知らず知らずのうちに蝕んでいたことを、ようやく最近認識し始めた。

「あっ、このままだと自分やばいな〜」と認識できたので、現在は自分なりにある取り組みをしているので、ちょっとご紹介できればと思う。

自分なりの"ルール"と"聖域"を設定してサバイブしていく

あくまでも、これは私個人の意見だが、「人間は生きている限り、生き辛さを感じることから逃げることはできない」のではないかと思う。

生きている限り色々な問題にぶち当たるわけだし、一番神経をすり減らす要因となる、"人間関係"に関しては生涯向き合っていかなければならない。

となると、考えるべきは「①生き辛さを感じる要因をなるべく減らす」という点と「②生き辛さを感じていても別の事柄で相殺する(生き辛さとは反対の感情が自分の中で生まれるような事柄を行い、生き辛さを相殺する)」という点なのではないかと思う。

上記の2つの軸に関して、自分なりに現在試行錯誤している点があるので、以下に記載しておく。参考になれば幸いである。

①生き辛さを感じる要因をなるべく減らす
生き辛さを感じる要因をなるべく減らす為に、私は"ルール"を設定するようにしている。生き辛さが立ち現れてくる時、そこには必ず原因がある。よって、その原因をなるべく減らすことができるようにルールを設定しちゃうのだ。

一例として私は「自分にとって苦手な人間がいるところには(物理的にも、オンラインでも)極力いかない」というルールを設定している。なんでわざわざめんどくさい人間が集まる場所に行かなくちゃいけないのだろうか。ドMなの!!?

それよりも、自分をリスペクトしてくれる人たちに囲まれながら、自己肯定感を高めつつ生きていきたい。

他のルールでいうと...

「SNSは極力見ない / 見るなら、自分も合わせて投稿しちゃう」:SNSを見ていると、キラキラしている人達と自分を比較してしまう感情が生まれてしまい、生き辛さを感じることがわかったので、極限まで減らすことにしている。

「なるべく沢山寝ること / なるべく沢山食べること」:睡眠大事。食事も非常に大事。僕の場合、睡眠時間と食事量が減ると、ちょっとしたことであっても生き辛さを感じてしまう性格なので、できる限り、この二つを実践するようにしている。

「どんな立場の人間とコミュニケーションを取る場合であっても、気になることは口に出すこと」:"言いたいことを言えないまま、それらを自分の中に抱え込むこと"は生き辛さに直結するのではないかと思っている。できる限り、口に出して相手に自分の言いたいことを伝えること。その場で伝えられなかったら、文面でもいいので後から伝えること。それだけでも、生き辛さの要因を減らせる気がしている。

「なんか失敗しちゃったことに関しては、とにかく早く忘れるようにする」:過去の失敗を幾ら悔やんだところで、過去は変えられない。大なり小なり人は失敗する生き物だし、毎日どこかで失敗するのだから、とにかく早く区切りを付けて早く忘れるように心掛けている。もちろん、次に失敗しない為の施策に関しては忘れないようにしておく。失敗から学ぶと共に、失敗を考えすぎないことが大事なのだと思う。

②生き辛さを感じていても別の事柄で相殺する(生き辛さとは反対の感情が自分の中で生まれるような事柄を行い、生き辛さを相殺する)

①をどんなに頑張っても、生き辛さは0にはならない。よって、生き辛さを感じた時に逃げられる場所を作っておくと良いのではないかと思う。

僕は、この逃げ場を"聖域"と呼んでいる。生き辛さを感じたら、聖域に逃げ込んで、すり減った精神の回復を図るのだ。

例えば僕の場合、一番の聖域は「読書」である。読書をしている時は、他の事柄を一切考えることなく本に集中するようにする。それだけでも、非常に気持ちが楽になる。

二つ目の聖域は「勉強」だ。今は財務の勉強をしているのだけれど、とても面白い。勉強している時には、頭をフル回転させてそのトピックだけを探求しているので、生き辛さを感じる要因まで考える余裕がなくなる。みなさんもぜひこの機会に、自分の好きなことを好きなだけ勉強するのはいかがだろうか。

ちなみに、kobo-taroの活動も、僕の中では大事な聖域となっている。

本業とは全く関係のない事柄を毎週考えて、文章にしたり、koboくんと話をする...... ただ、それだけの事柄ではあるが、僕にとっては大事な聖域だ。

多分、聖域を沢山持っておくことで、様々なタイプの生き辛さに対応できると思うので、今後も聖域を増やしていこうと思っている。身体を動かす系の聖域も大事だと思うので、「銭湯に行くこと」・「筋トレ」または「ランニング」も聖域レベルにしたいものである。三日坊主で終わってしまうことが多いので......

レッツ、サバイブ

ここまで長々と書いてみたが、個人的には「生き辛さと上手く付き合っていく方法を自分なりに探ること」が大事なのではないかと考えている

僕には、僕なりの対処法があるし、一人一人違ったアプローチが存在しているのではないかと考えている。

生きている限り、生き辛さは切っても切り離せないものとして、僕らの前に現れる。だからこそ、自分なりにサバイブする方法を考えていく必要があるのではないかと思っている。もし自分で考えても思い浮かばない場合には、信頼できる人に話してみたり、色々な本を読んでゆっくり考えるのが良いのではないだろうか。ただ、自分を救えるのは、自分だけである。自分が思いつく施策は全部試すくらいの勢いで向き合う必要があるのかもしれないとも思っている。

そういえば、この記事みたいに、自分の生き辛さを文章で晒け出すのも良いのではないだろうか。生き辛さを言語化するだけでも、何か新しい発見があるかもしれない。

僕も、僕なりに今後ともサバイブしていこうと思っている。

では、また。

(taro)

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