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イギリス人も踊り食い

執筆者:大阪人


以前、牛タンの記事を書いたように、イギリスでは牛タンを積極的に食べようとする人は少ない。スーパーに行けば牛タンのハムは売っているが、余すところなく食材を使いきりたいという勿体ない精神に基づいただけのものに見える。多くの人に聞いてみると、昔爺さんが食べさせようとしてきてマジで嫌だったとか、フランスの南部では老人たちが煮込んでいるだとか、とりわけ若者の間では人気がない。

そういった、食材の中でも異質に見えるものたちを食べるのは、日本ではゲテモノ食いと呼ばれるが、アジアにおけるゲテモノか否かという線引きは、ヨーロッパに比べてかなり緩いに違いない。臓物をホルモンとして好んで食べるのもそうだが、生食、特に踊り食いというものに対してこれだけ寛容な国もそうそうない。

日本では、魚介類を「いかに新鮮な状態のまま内地に運び込むか」ということに対して異常なまでの執着と進化を見せてきたように思う。それは紛れもなく生食文化によるものだし、近年はその様相もさらに変化している。内陸部でもお金さえ出せば生簀から出してすぐの魚を食べることができるし、パッケージングの技術向上により、インターネットで注文すれば生きたままのスルメイカやクルマエビが届く。

高級料亭なんかでは熟成した魚が当たり前のように取り扱われている反面、活造りももちろん高級食の代名詞として挙がってくるだろう。そして、往々にして我々は魚介類が新鮮なほど良質であると思っているし、それが振り切った先にたどり着いたのがまさしく「踊り食い」であろう。

もちろん日本人の中にもこのような踊り食いに対して拒否感を示す人は多くいるが、文化として寛容的というか、それらを見慣れていることは間違いない。


問題は、実際にイギリス人、ひいてはヨーロッパ人と話す際、「日本では何が美味しいの?」と聞かれた場合にそれを説明すべきかどうか、ということだ。僕は新鮮な踊り食いは呼び方や見た目こそインパクトが強いと思うが、味はとんでもなく美味しいし、ぜひとも色んな人に実践していただきたいと思っているくらいには好きだ。

それと同時に、こういった異なる価値観を共有することの難しさをひしひしと感じるのだ。フルーツサンドですらとんでもない顔をされるこの国で、踊り食いなんて文化をどう説明すればよいのか。一度友人に、「生きたまま食べるなんて、日本ってやばい国だな!」と言われたとき、僕は「確かにな!」と笑いつつも頭の中で色々と考えてしまったのだ。



人は自分勝手なものだ。自分と異なる価値観を有しているだけで、その人格すらも否定してしまうことがある。

この踊り食いについても、生きていようが死んでいようが、殺生をして食べていることには変わりないし、残酷かどうかなんていうのは価値観によるとしか言いようがない。ただ食べる瞬間に動いているか動いていないかというだけで、それらの生物を実際に殺しているという事実から目を背けているだけだ。未だに行われている娯楽のフォックスハンティングを批判することに何の違いがあるのか。食べてるだけマシじゃないか。

しかし、うごめくタコの足を、美味い美味いと言いながら笑顔で噛みまくるのは残酷だと言われても仕方ないような気もするし、アジのような魚が、生きたまま開かれて、その上に自分の肉を並べられるというのも残酷な気がする。

無論イカがピクピク動くのは、醤油に含まれる塩分に筋肉が反応しているだけだとか、魚に痛覚は存在しないだとか、あらゆるアプローチの反論は存在するが、食べる際にそれらを美味しく見せたいという人間のエゴだけで、盛り付けをする必要性があるのかと問われるとどうしたものか。

こういった賛否に対して、真っ向勝負で挑み続けても意味が無い。

異なる価値観に対して、それをねじ伏せようとするのは本当に難しいと思う。ましてや動物の生き死にに関わることなんてなおさらだ。

ヴィーガンやベジタリアンを普通の生活圏で多く見ることのできるイギリスで、日本の食文化を伝えることはかなり難しい。タピオカの食感にすら嫌悪感を示されるのに、生きたタコやイカなんてとんでもない。







呼子のイカ、まじで美味いんだよな~。


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