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連載「中井久夫さんが教えてくれたこと」⑶⑷

※神戸新聞で2023年1月に掲載した連載記事「中井久夫さんが教えてくれたこと」を一部再構成し、再録しています

(3)地震発生

支援者の存在に意味がある

1995年1月28日ごろ、中井久夫さんは「災害下精神医療」のイメージを走り書きした=「災害がほんとうに襲った時」(みすず書房)より

 「最初の一撃は神の振ったサイコロであった」
 中井久夫さんが阪神・淡路大震災を記録した文章「災害がほんとうに襲った時」(みすず書房)は、この一文で始まる。
 1995年1月17日午前5時46分。神戸市垂水区の自宅で眠っていた。
 「強制的にトランポリンをさせられている感じであった。家人とともになすがままにゆられている他はなかった。何が起こったのか。何も言葉を発しなかったつもりであったが、家人によると『ワーッ』と叫んでいたそうである」
 自宅は震源地である明石海峡を臨む場所にあったが、被害は少なかった。後に、中井さんが「申し訳ない」と罪悪感を抱くほどに。

 あのとき、神戸大学医学部付属病院(神戸市中央区楠町)は、救急車が到着するも「到着時死亡」の連続だった。遺体は霊安室だけでは足りず、会議室にも運ばれた。
 中井さんは病院へ向かおうとした。道は大渋滞。「数時間、連絡不能になることは最悪」と部下に助言され、最初の2日は自宅にとどまった。ひっきりなしに鳴る電話に対応し、関係者の安否確認に当たった。
 19日から出勤。病院には映画「心の傷をいやすということ」(2021年公開)のモデルで精神科医のあんかつまささん(故人)らがいた。みな被災者のそばに寄り添おうとしていた。
 「私は現場のスタッフを信頼していた。最大の仕事は、彼らの仕事を包括的に承認することだった」と中井さん。「自分は黒子になる」と宣言し、電話番や渋滞を避けやすいルートマップづくりを請け負う。

▼一時は神戸を精神科医で飽和させるぐらいにしたいと思いました―「中井久夫集7 災害と日本人」(みすず書房)

 中井さんは思っていた。
 「神戸を精神科医で飽和させるぐらいにしたい」「水道の栓をひねったら精神科医が出る、というのに近いものに持っていったら何とかなるだろう」
 震災9日後、かねてつながりがあった九州大にこんな電話をかけている。「神戸の中井ですが! 大変だ! とにかく医者が足りない! 精神科医をすぐに発進させてくれっ」
 全国からボランティアの精神科医が神戸に集まってきた。
 「兵庫県こころのケアセンター」(神戸市中央区)の現センター長、加藤寛さん(64)もその一人。勤務していた東京の病院から駆けつけた。
 加藤さんは、中井さんの言葉を記憶している。「支援者は存在することに意味がある。そばにいて、必要なことが見えた時、ケアを提供するのが大事だ」
 学校避難所を訪問したボランティア医師たち。診察室で患者と向き合うのとはまるで勝手が違う。試行錯誤の毎日で、加藤さんは目を開かれたという。「現場に行かないと何も分からない。現場に真実があった」
 被災者の様子をメモした医師らの日記がある。
 「朝から飲酒。めいてい状態。急性アルコール中毒」「1人暮らし、うつ状態」「不眠、表情は仮面よう」―。
 それが「現場」だった。

2023年1月17日付 神戸新聞朝刊より
「兵庫県こころのケアセンター」の加藤寛センター長。震災直後、東京から神戸に駆けつけ、今に至る=神戸市中央区脇浜海岸通

 なかい・ひさお 1934年奈良県生まれ。甲南中・高、京都大卒。精神科医。神戸大名誉教授、「兵庫県こころのケアセンター」初代センター長。翻訳家、文筆家としても活躍し、2022年8月、88歳で死去。

(4)こころのケアセンター

被災者を置き去りにしない

1997年3月、神戸大の「最終講義記念パーティー」であいさつをする中井久夫さん(中井久夫教授退官記念誌より)

 女性は涙ながらに訴えた。
 「今も耳元で『助けて、助けて』という声がするんです」
 阪神・淡路大震災の発生からしばらくたった頃だった。避難所にいた女性は巡回ボランティアをしていた精神科医の紹介で、神戸大学医学部付属病院(神戸市中央区楠町)にやって来た。
 この話は、当時、避難所訪問に力を入れていた神戸大の精神科医、あんかつまささん(故人)が、著書「心の傷をいやすということ」(角川書店)に書きとめている。
 彼女は激震の直後、迫る炎の中を逃げ回った。周囲で「助けて!」と叫ぶ声が聞こえたが、どうすることもできなかった。
 その光景が、その声が、心を離れない。余震におびえて眠れず、食事ものどを通らない。「私も死んでしまえば良かった」。自分を責め、涙を流した。
 「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」。彼女はのちにそう診断される。この言葉は震災以降、安さんの上司である中井久夫さんらが心のケアの必要性を強く社会に訴えたことで広まっていった。
 中井さんはつづっている。
 「精神障害が誰にでも起こりうるという、当たり前の事実は、一般公衆にも、精神科医にも、この震災によってはじめてはらわたにしみて認識された」

▼この小さな研究所は、心的外傷を忘れようとする社会の自然的傾向に流されずに存続する―「中井久夫集9 日本社会における外傷性ストレス」(みすず書房)

 震災5カ月後、復興基金を活用した「兵庫県精神保健協会・こころのケアセンター」が発足する。所長に中井さんが就いた。
 15の地域拠点を置き、精神科医や臨床心理士、保健師らが仮設住宅や復興住宅を回った。
 センターのシンボルマークはサクランボ。中井さんが手書きでデザインした。「サクランボはいつも二つの実が付く。支え合うという意味だよ」
 被災者を孤立させない。その一念だった中井さんは県外の仮設住宅にも目を向ける。大阪府南部の仮設に足を運び、住民と話した。地元・兵庫を離れて暮らす寂しさ。差し伸べる支援の手も足りなかった。
 「これじゃ、いかん」。府内にスタッフを置き、「りんくうタウン」(泉佐野市、200戸)など仮設3カ所のサポートに乗り出した。

中井さんがデザインした「サクランボ」のマーク

 センターの活動は5年間で終了した。一方、被災地発である心のケアはその重要性とともに、ますます広く認知されていく。
 2004年、「兵庫県こころのケアセンター」(神戸市中央区)開設。PTSDや心的外傷(トラウマ)の研究、診療にあたる全国初の専門機関となった。
 中井さんは初代センター長として、開所記念の講演会で語っている。「(私が)センターの基礎を作る一端をになってきたのは地震に指名されたとしか言いようがありません」
 いささかの自負と決意を込め、こう締めくくった。
 「この小さな研究所は、心的外傷を忘れようとする社会の自然的傾向に流されずに存続し、社会が犠牲者を置き去りにしないようにすることが第一の使命であり、すべてはそこから始まるのだと私は思います」

2023年1月19日付 神戸新聞朝刊より

 なかい・ひさお 1934年奈良県生まれ。甲南中・高、京都大卒。精神科医。神戸大名誉教授、「兵庫県こころのケアセンター」初代センター長。翻訳家、文筆家としても活躍し、2022年8月、88歳で死去。