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シン・長田を彩るプレイヤー ~お菓子を売りつつ見てきた地元、新長田育ちの僕が思うこと~(前編)


今回は、新長田駅からすぐ、鉄人28号が見守る新長田1番街商店街にある「お菓子のデパート遠州屋」店主の木村さんを取材しました。
木村さんは、お店を営みながら「1番街商店街振興組合」の理事長もされています。
お店を始められた経緯や、理事長として商店街で実現したいこと、新長田のこれからや良さについてたっぷりお聞きしました!


【商店街でお店をスタート、新長田の特色とは】

-記者-
今日はよろしくお願いします!
まずは経歴を聞かせてください。

-木村さん-
生まれはほぼ今のお店。当時は2階建ての木造で、そこの2階で育ったんです。
その後は普通に高校、大学を出て社会人になりました。
親からは「菓子問屋さんに行け」と言われたんやけどまったく興味なくて…。
一方で興味を持ったビジネスが一つあって。
それが“フランチャイズ”っていうものなんです。

-記者-
いつ頃興味を持たれたんですか?

-木村さん-
22歳、就職するかどうかぐらいのときですね。
当時はそんなにフランチャイズがなかったんですよ。
コンビニエンスストアもほとんどなくて、まあローソンはかろうじてあったんですけども。
それで、そういう小売りチェーンの本部に就職をしたんです。
菓子問屋がやるコンビニエンスストア。要は、ミニスーパー的な感じやね。

-記者-
なるほど。フランチャイズのはしりという感じだったんですね。
どうして興味を持ったんですか?

-木村さん-
当時は商店街に興味があったと言うと嘘になるけど、小売業の中でも今まで見たことないようなものに興味があった。
で、そこに就職しました。

その後、平成元年に母親が急病で亡くなったんですけれども、そのとき親父が「もうわしは商売せんから、お前に任せる」と。
僕は長男なんでいずれは後を継ぐとわかってたから、8年くらい勤めた会社を辞めて、最初はここでお菓子屋を継承しとったんです。

…でも、僕接客が苦手なんですよ。

-記者-
そんな風には見えないですが…。

-木村さん-
いや、苦手なんです。
うちの母親は田舎者で愛想がいいというか、なれなれしく喋ってたんですが、僕はそういうことができないんで売り上げがだんだん減ってきて。
そのときに見たのが、今の「お菓子のデパート」というチェーン店でした。
間接照明に平べったい陳列台で貴金属を売るように飴玉を売るというのが、すごく斬新に思えたんで「これはいける!」と思って。
「こんな風にしよう…!」とあれこれ思い浮かべて熱が出るぐらい1日中考えてました。

―記者―
そのお菓子のデパートが「いける!」と思ったのは、何か理由があったんでしょうか?

―木村さん―
やっぱりそれは、僕がフランチャイズの本部におったからでしょうかね。
サラリーマンとしての感触はやっぱり家族とは違うもんがあったと思うんです。

―記者―
新長田でやったらいけるなっていう感じがあったんですか?

―木村さん―
そうやね。最低限採算は取れるなと思って。
家族からすると「新長田にはそんなん通用せえへん」と思ってたみたいですけども。

―記者―
いきなり会社を辞めて家業を継ぎ、フランチャイズを始めるとなって、最初苦労とかはありましたか。

―木村さん―
そんななかったですね。いやあったんでしょうけどね(笑)
意外と始めてみたらスルスルって感じで、開店したらとんでもない売り上げで想像の4倍ぐらいでした。
思った以上に、とんでもなかった。

―記者―
すごい!どうしてそんなに売り上げたんでしょうか?

―木村さん―
土地柄や人の多さですかね。
この辺りは人通りが多かったので。
それと、当時スーパーもそんなになかったので。

―記者―
なるほど。
新長田で商売をされていて、これは新長田の特色だなと感じたことはありますか?

―木村さん―
難しい質問きましたね(笑)
やっぱり人間ですよね。
都会との違いで言うと、顔と顔がつながりやすいところとかですね。

【商店街で実現したいこと】

―記者―
今は1番街商店街振興組合の理事長もされていますね。

―木村さん―
これまたひょんなことでね。
再開発が終わって数年後の2012年からになるんですけどね。
今の商店街のアーケードを作った前理事長さんはすごい方なんですけど、次の代になると団塊世代で当時60歳ぐらいの方が何名かおったんです。
僕なんかはもうぺーぺーの理事で、しもべとして動き回るのが好きやったんです。
「まあ僕は楽しく、自分の好きなことをやればいいや」と思っていたら、次の理事長候補の方が「副理事長にはなるけど、理事長にはならない」と。

「なるほど」と思って(笑)
そしたら残ったのが結局僕だけになってしまって。

―記者―
突然役が回ってきたんですね。

―木村さん―
誰がやるんやというところで、適任者が僕しかいなくなって。
ええように言うと、ここで生まれ育っていて、昔のことも全部わかってるしというところで。何の能力もないけども、そのまま継承してくれるだろうなというような感じかな。
前の理事長がすごい方でして、僕は全然真逆という感じで。

―記者―
引き継ぐ重圧とか大変さはなかったですか?

―木村さん―
ないとは言えなかったですね。
だってそのときに13,4人の理事の中で一番年下ですからね。

―記者―
上の世代の方を飛ばしてるということですもんね。
理事長としてやりたいイベントなどはありますか?

-木村さん-
夏祭りよね。コロナ前までやってたんですけども、それが今は出来てないからね。
昔はお店の上の階に家族とかがおって、夏祭りの手伝いもしてくれてたんでしょうけど、再開発でそれがなくなったんで手伝う人がいなくなって…。コロナを契機にもうやめちゃったのが残念ですね。
待ってる人が結構いらっしゃるんですよ。
今でも聞かれるんですよね。「今年夏祭りやるの?」って感じでね。

-記者-
楽しみにしてらっしゃる方はたくさんいる一方で、地域の移り変わりで担い手が減ってきていると。

-木村さん-
来年なんかは大正筋商店街さんがやったような感じで、商店街の中だけでこじんまりとでもやりたいと思ってるんです。やらないかんやろなと。

-記者-
他にもやりたいことはありますか?

-木村さん-
やっぱりバルやね。

-記者-
バル!いいですね!

-木村さん-
当商店街は鉄人28号モニュメントと隣接する商店街なので、立地的に恵まれてる。
ビルの中も、個人の小さな店でも有名店とか個性的な店とか多いじゃないですか。
簡単ではないかもやけど店もだいぶ入れ替わったし、1回くらいはやってみたいな!

-記者-
盛り上がって地域の中からも外からも人が来てくれたらいいですね!!


前編では、木村さんが「お菓子のデパート」を始められた経緯と、1番街商店街振興組合の理事長として今後実現したいことについてお聞きしました。
地域のイベント、ぜひ復活してほしいですね。個人的にはバルに期待!
後編は、新長田についての課題や未来に期待することについて語っていただきます。
【編集:むかぼー/ぼーちゃん】