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母に対する感情の変化

今日息子が、餃子を食べた時に使った醤油の入った小皿をシンクまで運ぼうとして落として割った。

夕食のお茶碗を全て積み重ねていた息子は、しまった!という顔をした。

わたしが「大丈夫!?怪我はなかった?」と聞くと

「ごめんね、割れちゃった・・・」と落ち込んだ様子。

小皿の破片があるので、息子が踏まないよう下がってもらい、割れた小皿を回収し、飛び散った醤油を拭く。


わたしには不器用さがあり、本当によく失敗する子どもだった。

牛乳をコップに注ごうとすればこぼす、母のお気に入りのCDラジカセ(懐かしい響き)のコードに足を引っ掛けて凹ませる、などなど。

今思えば、CDラジカセについては、子どもの足が引っかかるような配線をしていたことが原因の一つでもあると思うのだが、母はわたしの不器用さや大雑把さを叱り、気分が変わるまで半日〜2日自分の世界に引きこもり、いくらわたしが泣いて謝ってもわたしと話そうとしなかった。

そんな母の度々の反応に、今の息子と同じ小学校低学年の頃にはもう、自分には価値がなく消えていなくなりたいと思うようになっていた。

失敗する度に、母から怒られたり無視されたり、小言を言われたりして散々傷ついてきたわたしは、失敗した人の気持ちがわかりすぎるため、息子を始め人の失敗に対しかなり寛容な大人になった。


夜、息子の寝かしつけの時、息子が顔を近づけてきて、「ママ・・・」とわたしを呼びながら笑顔で話し出した。

ふと、母はかわいそうだなという感情が芽生えた。

子どもに対して、「可愛い」「一緒にいて楽しい」と思う余裕がなくわたし達3姉妹を育ててきたこと。

同時に、なぜこんなに可愛い子どもに対して、叱責や無視などあんな仕打ちができたんだろうと思うと涙が溢れてきた。

わたしも小さい頃、息子と同じような可愛い子どもだったはずなのに。

きっと、母自身の母親(わたしの祖母)との関係性や気持ちの余裕が持てないような環境で子育てしていたのだろう。

母方の祖母は、人に厳しく自分と異なる考え方に対しキツイ言葉で責める人だったと記憶しているので、母と祖母の関係も苦しいものであったのではないかと推測できる。


「可愛い」「一緒にいて楽しい」と思う余裕がなく子育てという貴重な時間を過ごした母を可哀想に思ったら涙が止まらなくなり、息子に背を向けて涙を見られないようにした。

子育てをしていて、母とのつらかった過去を思い出すことはあるが、母に対してそんな風に思えたのは初めてだ。

母に対する感情は、だいぶ変化してきた。

息子が幼い頃にあった、息子への適切な接し方が分からないという困り感、自分は母にしてもらえなかったのに、息子は母であるわたしから望むようなケアを受けられていることへの嫉妬や混乱といった感情は今はもうない。

母との関係に向き合い続け、ようやくここまでこれた気がする。


これから、可愛い盛りなのに、ただ愛されていつくしまれて育つことを許されなかった子どものころのわたしの悲しみの感情をケアして眠りにつこうと思う。


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