因島(Into) Dreamin'

とても素晴らしいもののことをよく「神!」と表現するけれど僕はその表現があまり好きではない。僕は無宗教なので何かを信仰する人にとっての"神"にあたる存在がない。だから"神"を知らないのに"神"に例えるのは、食べたことのない料理の味に例えているようでしっくりこない。「神様が見ているかもしれないから悪いことはできないな。」と思うことはあるけれどこの場合の"神様"はかなり漠然としたもので特定の宗教を信仰する人の掲げる"神"とは少し違うだろう。

何かを信仰している人にとっての"神"とは唯一無二のものであり続けるものだと思う。「火曜日の私にとっては〇〇が神で、金曜日は⬜︎⬜︎が神でした。」なんてことはありえないはず。

そう考えるとちょっと面白い映画を見て「神映画だ!」というのは気が引ける。その映画を見て1、2週間はその映画のことを考えるだろうが、しばらくしないうちにその映画はそっちのけでまたいつもの日常へと戻っていく。"神"と呼ぶには生活に寄り添っていないのだ。

では、僕にとって"神"と呼べるものはあるのか、と考えてみる。1つだけあった。僕には、幼稚園の頃から今に至るまで好きでい続けているバンドがいる。幼稚園の頃なんて歌詞の意味も当然分からなかったけれど小学生、中学生になるにつれて次第に意味がわかってきた。次第にそれは自分を構成する一部になっていった。

彼らは瀬戸内海にある島で生まれ育った。TVやライブのMC挙げ句の果てには歌詞にも登場するその島は僕にとって、いつかは行ってみたい憧れの地になっていた。中3の時にその島に行く機会があった。家族旅行の目的地はその島ではなかったが、僕がその島に行きたがっていた事を知っていた両親は道中、その島に寄ってくれた。

そこは僕にとって最高の場所だった。あの歌詞に出てくるトンネルもメンバーが懐かしそうに話す海も全てがそこにはあった。そこは間違いなく聖地と呼んでいいだろう。......しかし、妹にとってはそうではなかったようだ。僕にとっては幾千に輝く星のように見えた風景も妹にとってはただの田舎の風景に見えていたらしい。家族旅行とは思えない温度差がそこにはあった。

逆に言えば、想いがあるならばその人にとってそこは紛れもなく聖地なのだ。そこが秘境の地でも、教科書載っている誰もが見たことのある場所であろうと、ゆっくり時が流れるあの優しい島でも。

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