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旅するように暮らしたいし、暮らすように旅をしたい

写真が写真になるまでの、
身体と心の動きについて


旅とは心の解放であって、自分自身への挑戦であって、明日を信じて眠るために必要なものであって、幼少期や映画や夢の記憶の追体験でもある。

それを連続性のある映像(動画撮影)で追うのではなく、あえて写真として残したいと思うのは、「シャッターを置いてくる」感覚を大事にしたいからなのだと思います。

二度と来ないかもしれないその場所で、たった数回のシャッターを切ること。0コンマ何秒を選び取る覚悟。

フィルムカメラで撮るときは特に顕著で、本当に映ってるかどうかは現像しないと分からないので、さらに1枚の重みが変わってくる。

ミラーを跳ね上げるときの物理的な衝撃が、重力となって自分の身体をつたい、足の裏からその場に「置かれる」感覚。
そういうのをきちんと感じながら写真を撮りたい。

まあ今はほとんどミラーレスで撮るんですけど・・・。(なんやそれ)
そのときの気持ちを忘れたくないと思う。


自分にとっての「旅」を実感するとき

具体的には、長距離を乗り物に乗って移動するときや、高速で流れていく景色を眺めているとき。
この雪道や獣道を進めばもうあとには引き返せない(物理)という局面。

この場所に今自分が立っていてこの景色を見ている状況が、「自分の意思と行動によるものである」ことが身体全体で感じられるとき、です。

では、旅とは身体の移動を伴うものを言うのか。

「移動」することは自分の中で大事なこと。
一方で、それを決意するための「今ここ」がなければ思いを馳せる場所もない。

自分が日々どのような心持ちで暮らしていくかが一番大切なことで、それは移動を伴う「旅」をしてもしていなくても、今自分がどんな状況でどこにいても、ずっとその気持ちがここにあることを実感できる心の豊かさが持てるかどうかだと思います。

旅するように暮らしたいし、暮らすように旅をしたい。

何時間も空も見えない山道をただ歩いただけで1枚も写真が撮れてなくて絶望してイライラしながら帰る日も普通にある。

獣道の先

日々の生活でも同じ。

それでも自分で考えて、決めて、動いて、感じたことがすべてだと思うので、身体全部を使って生きて、覚悟を持って0コンマ何秒を選び取ることの連続をしていきたい。

それが冥土の土産になると本気で思っているので、
生涯そういうことをを考えながら生きられたら幸せだなと思います。

今何かの理由で身動きが取れなくなってる人にも届けば良いなと思いながら。

気持ち。

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