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16.西晋王朝① 序

はい、こぼば野史です。

今回から新シリーズである。

見出し画像はかなり大きく出ているが、自分で作ってハードルが上がってしまった感が否めない。

今回から、西晋王朝についての投稿を始めようと思う。

西晋王朝とは、高校世界史ではこのように書いてある。

晋(西晋)265~316 司馬炎が三国魏の禅譲を受けて建国した王朝。280年に呉を滅ぼし中国を統一したが、司馬炎の死後、一族の諸王の乱がおこって混乱し、台頭した匈奴によって滅亡した。首都は洛陽。
--全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』(山川出版社、2014年)

大学の卒業論文の先行研究として、先学の論文や図書の情報を雑多に書いて、先行研究の覚え書としていこうと思う。

これを書くことによって、第一の目的は上記であるが、第二の目的としてnoteユーザーに歴史を知ってほしいというのがある。

「趣味の話 読書」シリーズで幾度か言及していたが、日本では三国時代がとても有名である。しかし、日本で指されている三国時代は諸葛亮の死(234年)でほとんど終わっている。

例えば、羅貫中『三国志演義』は、全120回のうち、『三国志演義』の始まりはおよそ黄巾の乱(184年)~諸葛亮の死(234年)であり、50年間を103回分も割いている。にもかかわらず、諸葛亮の死~西晋の天下統一(280年)の46年間は104~120回、たったの16回で描くのである。

また、『三国志演義』を邦訳し、日本の三国志ブームの火付け役と言っても過言ではない吉川英治の小説『三国志』は諸葛亮の死で完結するらしい。

このような経緯から、諸葛亮の死以降の歴史は日本人にはあまり知られていないのではないだろうか。

そのため、このシリーズを投稿することによって、少しの人でもいいから、知ってもらおうという所以である。

他の前提情報を前掲用語集から引用しておく。

司馬炎(武帝)236~280 西晋の創建者・初代皇帝(在位265~290)。魏の実力者であった父を継ぎ、265年魏の元帝の禅譲を受けて即位し、律令や田制(占田・課田法)を整備した。
八王の乱 290~306 司馬炎の死後、一族の8人の王を軸におこされた西晋の内乱。恵帝の外戚が権力独占をはかったため、諸王がたちあがり、次々に政権を握った。諸王が隣接諸民族の武力を頼んだため、五胡の侵入を招いた。
五胡 4~5世紀に華北に諸国を建てた、非漢族の匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の五つを指すと言われている。
永嘉の乱 311~316 西晋末、匈奴など北方諸民族によっておこされた兵乱。八王の乱に乗じて匈奴の劉淵が漢(前趙)を建国し、羯などを服属させて南下した。息子の代の311年に洛陽を陥落させ、さらに長安で擁立された愍帝を316年に捕らえ、西晋を滅ぼした。

とりあえず、今回はここまで。

頓首頓首。

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