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『これでいいのだ… さよならなのだ』を読んで知る赤塚不二夫さんへの想い

今回は、赤塚不二夫さんのことを書かれた杉田淳子さんの『これでいいのだ… さようならなのだ』の感想とファンアートの掛け合わせてみました。それとちょっとした赤塚さんの名言集なども書いてみました。


はじめに


この本との出会いは図書館でした。タイトルからくるイメージも寂しさを漂わせる感じもあり、しかもウォッシュアウトってご存知ですか?と読み始めるや否や濃い内容からのスタートだったので借りようかどうしようか迷ったのですが、赤塚不二夫さんとはどんな人なのか知ってみたいと思い借りることにしました。
何かの待ち時間などで読み進めていくうちに、自然と入り込んでいった本でした。正直なところ、赤塚不二夫さんのファンであれば読むことに間違いのない本だと思うのですが、どういう人だったのかを知りたい上で読んだ自分には、意外とびっくりするような内容もあり、また1つ勉強になる本となりました。


意味のある言葉


本書の中で、とても意味のある言葉だと思ったところをご紹介します。

僕はナンセンス・ギャグが大好きである。しかし、このナンセンスというのは、ただメチャクチャをやればいいってものではない。常識、つまりコモンセンスを充分わきまえたうえで、それをひっくり返すからナンセンスが生きる。それを
常識も知らないで、ただメチャクチャをやれば、それはもう陰惨(いんさん)になるだけだ。そんな陰惨なメチャクチャを、ナンセンスだと勘違いしている若者が多い。それこそナンセンスだ。思うに、最近の若い人は機械とばかり接触していて、人間と接触していないのだな。だから、マンガがつまらないのだ。ロマンがない。
もしできることなら、赤塚賞はマンガ作品で選ばずに、応募者全員を砂漠にでも連れていって、そこで放り出してやりたい。そして一番最初に戻ってきたヤツが大賞だ。砂漠で生き抜くことで、人間というものが少し理解できるようになるだろう。この砂漠放り出し方式は、一般の会社の就職試験でも応用できるはずだ。ただ頭がいいだけの人間は脱落し、観察力、応用力に優れている者だけが生き残るのだ。

老兵は死なずより

赤津さんがこのことを思ったのは、ギャグマンガの登竜門の審査をしていた時だったそうです。審査をする上でしっかりとした意見を持っていることは大変重要なことだと思うので、赤塚さんのマンガにかける想いがよく伝わってくる言葉だと思いました。またこれは、noteで文章を書くときも応用できると思ったのですが、自分は文章力があまりないことから、よくチグハグな文や例えを書いてしまっていることが多く、ウケを狙うことよりもまずは深掘りをすることが大事なんだと思い知らされる言葉ともなりました。


ファンアート


この本を読み始めてから赤塚さんのマンガ愛や名言などにより掻き立てられた自分は、ファンアートを描きたくなりました。やはり初めに描いたのはバカボンのパパでした。描いている途中、赤塚さんの似顔絵にも挑戦したくなり描いてみました。そしたら、その勢いで熱が入りウナギイヌにイヤミと描き足していったのです。自分にとってファンアートを描くということは、ちょっとした息抜きにもなり、尚且つ、新たな絵のひらめきにもつながったりするので時々するのですが、ファンアートを描きたいとさせるそのマンガの魅力やマンガ家の想いって、やっぱりすごい影響力があるのだと思いました。(余談ですが、簡単そうに見えるキャラクターほど、寄せて描くのは難しい気がしたりします。)








感想


この本が出版されたのは2018年で、赤塚不二夫さんが亡くなられてから10年という歳月が流れた後でした。本書の中で、著者が赤塚さんと過ごした時間に向けた言葉が、印象的だったのでご紹介したいと思います。

今年、赤塚先生が亡くなって10年が経つ。わたしが先生と会っていた時期は、ほんのわずかで、先生が眠り続けていた6年よりも短い。「先生って本当にいたのかな」「バカみたいなあの時間、ほんとにあったのかな」と、ときどき思う。
すべてが夢だったのではないか、と。ふつうに暮らしていると、ついついふざけることを忘れてシリアスになってしまう。もう立派な大人なのだからそれが当たり前なのかもしれない。笑っている時間よりもつまらない顔をしている時間がずっと長くなる。笑うためには努力がいる。そんな日々をどうにか乗り切るために、先生に「バカ!」といわれて笑っていたあのころを思い出して、無理矢理にでも笑うのだ。

証言その23より


著者がいっていたように、自分も含めて、人間は、大人になるにつれて笑うことよりも難しい顔をすることが多くなってしまうのだと思います。自然に笑えない自分がいることを、都合よく何らかの理由をつけて自分に思い込ませ、忙しない日々をやり過ごすようになっている気がします。しかし実際、笑うことはとても大切で、よく笑う人ほど幸せを惹き寄せるといいますが、これを機に自分ももっと笑える人間になっていきたいと思いました。
この本を読んで赤塚不二夫さんのイメージが大きく自分の中で変わりました。
最初のイメージは、正直なところ漫画家というよりコメディアン的なイメージがあったのですが、蓋を開けてみるとマンガの館・トキワ荘の話や漫画家としての思想や情熱それだけでなく、周りの人への思いやりも強く感じられ最終的にとても共感できるイメージへと移り変わっていきました。それとこの本を読んでいて思ったのですが、天才バカボンのパパを通じて本当は、赤塚さんご自身を描き表していたのではないかと。なぜなら、本書に書かれていることから読み取れる赤塚さんのユニークな姿はまるで、バカボンのパパのようだったからです。
最初、読むのをやめようか迷いましたが、最終的にこの本に出会えて素直に良かったなと思える自分がいました。



印象的だった名言集


『天才バカボン』を描き出した時にもまず思った。バカに真実を語らせようと。そこからバカボンが生まれ、バカボンのパパが生まれたんだ。

赤塚不二夫の名言集より


バカっていうのは自分がハダカになることだ。世の中の常識を無視して、純粋な自分だけのものの見方や生き方を押し通すことなんだよ。バカだからこそ語れる真実っていっぱいあるんだ。

赤塚不二夫の名言集より


俺たちの時代は親がものすごく厳しかったから、「自分は自分なりに生きなきゃ」「自分の世界をつくろう」とガキの頃から思っていた。それが影響しているんだ。いまの若い人には、他人に依存して、誰かが何とかしてくれると思っている奴が多いじゃない? 

赤塚不二夫の名言集より


当時、実際にあった出来事から学べること


忙しない時を過ごす中、原稿をやっと書き終えた赤塚さん、締め切り前に編集者に原稿を渡すことができました。しかし、編集者はその受け取った原稿をなんとタクシーの中に起き忘れてしまったのです。翌日には、印刷所に届ける必要も
ありながら、乗っていたタクシーには連絡がつかず、真っ青な顔で戻ってきた
編集者でした。そんな編集者に赤塚さんは、“ネームがあるからまた描ける”
そして、“まだ少し時間がある。呑みに行こう”といって怒りませんでした。
それから呑みから戻って漫画を描き上げ、“2度目だから、もっとうまく描けたよ”と言って原稿を渡したそうです。
紛失した原稿が、1週間後にタクシー会社から赤塚不二夫さん宛てに郵送されてきました。“2度と同じ失敗を繰り返さないように、おまえがもってろ”と、
赤塚不二夫さんからその原稿をプレゼントされた編集者は、その後35年間、
自分への戒めとして持ち続けたそうです。そして赤塚不二夫さんが亡くなったとき「この原稿の役目は終わった」と、フジオ・プロ(赤塚不二夫プロダクション)、娘のりえ子さんに原稿を戻したのでした。なのでフジオ・プロには、
「天才バカボン」の同じ回の原稿が2つ存在するそうです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。



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