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夏目漱石論の困難さ

 夏目漱石について論じることの困難さは、本来夏目漱石作品を論じることの困難さであるべきではあったが、そもそも夏目漱石作品はその「あらすじ」でさえもはや修正不可能なほど徹底して読み誤られており、その読み誤りをいかに具体的にしても誰一人理解できないことからくる困難さであることが確認できた。

 このようにして夏目漱石作品ついて、その「あらすじ」の読み誤りを具体的に指摘してみたが、そのことの意味を理解できる人は誰一人現れなかった。つまり藤尾は毒薬を飲んで死んだと今でも信じているし、自分が信じていることを疑う気もない。それはもう少し丁寧に言えば「読んでいないのに読んだつもりになっている」ということなるが、どうも夏目漱石作品には昔からそういうところがあり、夏目漱石論の困難さは今に始まったことではなさそうだ。

『新小說』の『文豪夏目漱石』で、內田魯庵氏は「人の評判によると夏目さんの作は年ましに上手になつて行くといふが、私は何故だかさう思はない、と云つて私は近年は全然讀まないのだから批評する資格は勿論なゐのである。」といふやうなことを云つてをられる。私はこの一節を讀んで、內田といふ人は隨分無責任なことを云ふ人だと思つた。(『夏目漱石』赤木桁平 著新潮社 1917年)

 赤木の指摘は尤もだ。全然讀まないのではそもそも比較の仕様がない筈だ。しかし內田魯庵一人が無責任なのではない。ただ一人の例外もなく、全員が無責任なのである。正宗白鳥は「死んぢや困るから注射をして吳れ。」という臨終での言葉に則天去私の揚げ足を取り、秋田雨雀氏は、「夏目さんその人は、隨分時代を構はぬ人である。西洋風にいふと、一種の時代錯誤の人である」といふ見方から、「嚴密な意味では夏目さんは現代の日本には生きてゐなかつた」と無茶を云う。『こころ』で静を残す工夫が見えていれば、けして言えることではない。

島村抱月氏の『初めから固定してゐた人』といふ文章を見ると、氏はその文章の中で「どうもあの人(夏目先生を指す)は最初から腰の据つた人生の觀方をしてゐた人ではなかつたかと思ふ。前にも云つた通り晩年の作品を讀まないから分らないけれども、恐らくあまり變化しない作者ではなかつたか、人間に於いても創作に於いても」と云つてゐる。(『夏目漱石』赤木桁平 著新潮社 1917年)

 これもまた酷い。読まないで比較は出来ないし、それで人間を論じるとは……。これをしらふで言っているなら頭がおかしい。漱石作品は常に変化を繰り返してきた。『道草』と『吾輩は猫である』ではまるで作風が違う。最初から持っていたストックだけで書いたわけでもない。『虞美人草』は『文選』などを勉強して書いた。『三四郎』でギヤチェンジしたかのよう小説がうまくなっているのも気が付かないものだろうか。

「私も氏の立派な人格の人だつたことを疑はない。私の知つた範圍では極く潔白な義理堅いそして常識の發達した人で社交的のことにはきちんとした紳士であつたと思ふ。然し社交的の美德と人道的德義とはおのづから別であることを忘れてはならぬ。この二つのものを混用してはならぬ。」(『夏目漱石』赤木桁平 著新潮社 1917年)

 これは徳田秋声の弁である。生田長江は「夏目といふ人はどんな眞面目なことをも不眞面目に解釋してしまはなけれは滿足出來ない人だ。」といい、「三井甲之氏及びその信仰者等の或者は、常に激石先生を以て趣味の人であると云ひ、信念の人ではないと云つてゐる」という。乃木大将が静子を殺すのは大真面目なことであろうが、大真面目だけでは説明がつかないことでもある。乃木静子が死んだことはおかしいと指摘するのに信念が不要とはどういう了見だろう。

 いや、単に彼らは夏目漱石作品を読んでいないだけなのだ。百年前から一貫して夏目漱石作品はきちんと読まれてこなかった。しかしどういう了見か、「読んでいない」という自覚のあるものですら、平気で漱石を論じるという可笑しな状況が続いている。誰かはもう黙るべきなのだ。しかし黙らない。毎日、世界中の言語で繰り返される「月がきれいですね」のデマツイート同様の「あらすじ」さえつかめない漱石論が溢れている。
 だからこそ夏目漱石論は困難であり、だからこそ書かれねばならないのだ。




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