このウイキペディアの『吾輩は猫である』のあらすじは誰が書いたものか分からない。分からないが、どうも間違っている。
①「薄暗いところで出生した」
出生地の心当たりはない。最初の記憶が「何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけ」である。「薄暗いじめじめした所」を「薄暗いところ」に縮める理由が分からない。
②「家族犬共々」
この場面、何度読み返しても「犬」は現れない。「家族犬共々」という表現が何によって生じたのか、さっぱり分からない。書生が猫を煮て喰うという話から勝手に犬鍋でも連想したものか。それにしてもここまで勝手なものはもはや誤読とすら呼べないのではなかろうか。
③「タバコというものを初めて知る。」
これが誤読である。
吾輩は「これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。」の「この頃」は「この時」と同じではない。同じなら、「ようやく」ではなく「たちまち」である。「この頃」はこの話が語られている現在である。
④「ドライブ中に」
自動車は現れないし、回転もしない。「ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。」という状態を比喩的に表現しようとしたものか、あるいは存在しない自動車を勝手に幻出させたのかは不明だ。いずれにせよ、書いてあることを読まない、書かれていることを読まない、誤読の典型的なパターンだ。
⑤「街に出たことで助かる」
この「何となく人間臭い所」を「街」と捉えたようだが、この時点で吾輩は助かっているわけではない。
⑥「放浪の末に」
この引用箇所は一つ前の引用箇所と切れ目なく繋がっている。つまり「放浪の末に」などという事実は存在しないのである。そしてこの時点でもまだ吾輩が助かっている訳ではないことが確認できるだろう。
⑦「わがままで不人情で泥棒も働く不徳者であると聞き知る。」
この台詞のニュアンスを独自解釈したところであろう。泥棒と不徳はまあよしとしよう。しかし「わがまま」は黒の弁ではなく吾輩の観察からくる判断である。
そして「不人情」は黒ではなく、白の見解である。
このように夏目漱石作品は何故か徹底して読み誤られている。しかも読み誤っているものが汚染データを流し続けて居る。書く資格のない者が書き続けて居る。しかしこの誤りはいつか正されなくてはならないだろう。なんとしても。
十徳ナイフか!
ソーラー発電できそう。