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夏目漱石『野分』のウイキあら捜し


「野分」は3人の作家にまつわる物語である。結核持ちである高柳とお洒落な中野は若く、学生時代からお互い近い関係で、成功を夢見て努力している大学院生である。3人のうち一番年上の道也先生は故郷で教職に就いていたが、富豪と権力者への無礼な態度が原因で、村人と生徒によってその職を追われることになった。現在は東京で編集者、及び作家としての仕事に携わり、なんとか生計を立てている。彼の妻はそのことに驚きを隠せないようである。日中は雑誌編集者で、いずれ「人格論」という真剣な作品を完成させ出版することを切望している。偶然にも、100円(当時では1ヶ月分の給料に相当)をめぐって3人は出会うことになる。中野から高柳へ送られた病気療養のための海岸沿い温泉、作品を売ることで賄われた道也先生の借金、高柳の自己犠牲と償還。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%88%86_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

①「3人の作家にまつわる物語

 何か文章を書くことで生活している人を云うには作家でいいのだろうか。冒頭「白井道也は文学者である」とあるので、まず「白井道也は文学者」でいいのではなかろうか。しかし作家とは言えない。書いているものが「人格論」なら哲学者か批評家だ。

 高柳君の紛失した原稿は「地理教授法の訳」である。これを業とすれば翻訳家である。しかし「たとい飛び立つほど痛くっても、自分で自分の身体を切って見て、なるほど痛いなと云うところを充分書いて、人に知らせてやりたい。呑気なものや気楽なものはとうてい夢にも想像し得られぬ奥の方にこんな事実がある、人間の本体はここにあるのを知らないかと、世の道楽ものに教えて、おやそうか、おれは、まさか、こんなものとは思っていなかったが、云われて見るとなるほど一言もない、恐れ入ったと頭を下げさせるのが僕の願なんだ。」とワナビーである。

   中野君は「出来たら見せるよ。小説をかいているんだ。そのうちの一章に女が花園はなぞののなかに立って、小さな赤い花を余念なく見詰めていると、その赤い花がだんだん薄くなってしまいに真白になってしまうと云うところを書いて見たいと思うんだがね」とワナビーである。

②「大学院生

 彼らは同じ高等学校の、同じ寄宿舎の、同じ窓に机を並べて生活して、同じ文科に同じ教授の講義を聴いて、同じ年のこの夏に同じく学校を卒業したのである。同じ年に卒業したものは両手の指を二三度屈するほどいる。しかしこの二人ぐらい親しいものはなかった。(夏目漱石『野分』)

 高柳と中野は卒業して文学士となっているので、大学院生ではなく、いわば就職浪人だろう。

③「故郷で教職に就いていた

 白井道也は「八年前大学を卒業してから田舎の中学を二三箇所流して歩いた末、去年の春飄然と東京へ戻って来た」とあるのを「田舎」≒「故郷」と読んだのだろうか。「始めて赴任したのは越後のどこか」とあるので越後は故郷ではなかろう。

④「村人と生徒によってその職を追われることになった

 作中「村人」の文字は現れない。役員、新聞、同僚、父兄、生徒に嫌われ、越後を去る。九州では実業家に睨まれて去る。中国辺の田舎では、旧藩士に挨拶をしなかったことが原因で去る。

「それで、なぜ追い出したんだい」
「それがさ、中学校の教師なんて、あれでなかなか悪るい奴がいるもんだぜ。僕らあ煽動されたんだね、つまり。今でも覚えているが、夜十五六人で隊を組んで道也先生の家の前へ行ってワーって吶喊して二つ三つ石を投げ込んで来るんだ」
「乱暴だね。何だって、そんな馬鹿な真似をするんだい」
「なぜだかわからない。ただ面白いからやるのさ。おそらく吾々の仲間でなぜやるんだか知ってたものは誰もあるまい」
「気楽だね」
「実に気楽さ。知ってるのは僕らを煽動した教師ばかりだろう。何でも生意気だからやれって云うのさ」
「ひどい奴だな。そんな奴が教師にいるかい」
「いるとも。相手が子供だから、どうでも云う事を聞くからかも知れないが、いるよ」
「それで道也先生どうしたい」
「辞職しちまった」
「可哀想かわいそうに」(夏目漱石『野分』)

 大きく来れば、住民との対立が原因で、と云っても良いが「同僚の教師によって煽動された生徒たちの悪ふざけなど」と加えた方が良いかもしれない。

⑤「「人格論」という真剣な作品

 これが難しいところだ。

「袷は単衣もののために存在するですか、綿入のために存在するですか。または袷自身のために存在するですか」と云って、一応聴衆を見廻した。笑うにはあまり、奇警である。慎むにはあまり飄きんである。聴衆は迷うた。
「六ずかしい問題じゃ、わたしにもわからん」と済ました顔で云ってしまう。聴衆はまた笑った。(夏目漱石『野分』)

 講演の内容がそのまま「人格論」ではないとしても、多少の反映はあろう。漱石の公演を文字で読むと、大上段から振りかぶり、大真面目に大きな問題を論じるのに、適度な例話はあれども『吾輩は猫である』式の逸脱はない。『野分』おける白井道也の演説は逸脱や賺しといった笑いの要素を明らかに含んでいる。「「人格論」という真剣な作品」にもどこか滑稽が含まれていたのではないかとこの演説は思わせる。また「これをわが友中野君に致いたし、中野君とその細君の好意に酬いんとするのである」はずっこけ落ちになっている。高柳君にとって「人格論」は価値があろうが、中野君にとっては百円の価値はなかろう。


 秋は次第に行く。虫の音はようやく細る。
 筆硯に命を籠むる道也どうや先生は、ただ人生の一大事因縁に着して、他を顧るの暇なきが故ゆえに、暮るる秋の寒きを知らず、虫の音の細るを知らず、世の人のわれにつれなきを知らず、爪の先に垢のたまるを知らず、蛸寺の柿の落ちた事は無論知らぬ。動くべき社会をわが力にて動かすが道也先生の天職である。高く、偉いなる、公けなる、あるものの方かたに一歩なりとも動かすが道也先生の使命である。道也先生はその他を知らぬ。(夏目漱石『野分』)

 この『野分』そのものが大真面目かつユーモラスな作品であることは言うまでもない。最近、というか少し前、村上春樹さんが『職業としての小説家』のなかで「エンターテインメントとエスタブリッシュメントの融合」のようなことを書いていたけれど、戦略としてそれを体現した先駆者に確かに夏目漱石はいたと見てよいだろう。これをただ真剣なものにしてしまっては漱石に申訳ない。




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