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芥川龍之介の『点心』をどう読むか④ そりゃあんただろう

惝怳

 長井代助
 我々と前後した年齢の人々には、漱石先生の「それから」に動かされたものが多いらしい。その動かされたと云ふ中でも、自分が此処に書きたいのは、あの小説の主人公長井代助の性格に惚れこんだ人々の事である。その人々の中には惚れこんだ所か、自ら代助を気取つた人も、少くなかつた事と思ふ。しかしあの主人公は、我々の周囲を見廻しても、滅多にゐなさうな人間である。「それから」が発表された当時、世間にはやつてゐた自然派の小説には、我々の周囲にも大勢ゐさうな、その意味では人生に忠実な性格描写が多かつた筈である。しかし自然派の小説中、「それから」のやうに主人公の模倣者さへ生んだものは見えぬ。これは独り「それから」には限らず、ウエルテルでもルネでも同じ事である。彼等はいづれも一代を動揺させた性格である。が、如何いかに西洋でも、彼等のやうな人間は、滅多にゐぬのに相違ない。滅多にゐぬやうな人間が、反かへつて模倣者さへ生んだのは、滅多めつたにゐぬからではあるまいか。無論滅多にゐぬと云ふ事は、何処にもゐぬと云ふ意味ではない。何処にもゐるとは云へぬかも知れぬ、が、何処かにゐさうだ位の心もちを含んだ言葉である。人々はその主人公が、手近に住んで居らぬ所に、惝怳の意味を見出すのであらう。さうして又その主人公が、何処かに住んでゐさうな所に惝怳の可能性を見出すのであらう。だから小説が人生に、人間の意欲に働きかける為には、この手近に住んでゐない、しかも何処かに住んでゐさうな性格を創造せねばならぬ。これが通俗に云ふ意味では、理想主義的な小説家が負はねばならぬ大任である。カラマゾフを書いたドストエフスキイは、立派にこの大任を果してゐる。今後の日本では仰も誰が、かう云ふ性格を造り出すであろう。(一月十三日)

(芥川龍之介『点心』)

 普通に読めばまず「そりゃあんただろう」と言いたくなる。誰が、ではなく、その大任はあなたがひきうけるべきなのではないかと。漱石門下からは何人か作家が現れたものの、現代でも名前が残るのは内田百閒と芥川くらいなもの。後は探せば出てくる程度で、この二人には遠く及ばない。だからやはり芥川が書くべきなのではなかったのかと思ってしまう。現に書いたそばから誰かがそういうのではなかろうか。

 しかし「少しは大きなものにぶつかりたい」「絶えず必然に、底力強く進歩していかれた夏目先生を思うと、自分のいくじないのが恥かしい」という大正五六年あたりの気概が、この時点ではすっかりなくなったように書かれているという事実は真面目に受け止めなくてはなるまい。

 ここにはまるで当事者意識がないのだ。

 私は小穴隆一等の記述から、芥川が自殺の決意をしたのは大正十四年七月、謎の小説『温泉だより』が書かれた時期だったのではないかと考えている。この『点心』は大正十年一月の作なので、まだ自殺の決意の前の筈である。この年の暮れに芥川はひどい神経症に悩まされる。つまりまだまだこれから、格闘が続いていた時期の筈なのだ。

 なのにまるで当事者意識がない。

 どうもこの正月、芥川龍之介は夏目漱石のことを惝怳と思いだしている。夏目漱石の事ばかりではないが、夏目漱石のことも思いだしている。その証拠にここでは『それから』の長井代助が出てくる。これでは言い訳が出来ないだろう。何かにちなんだわけではないが突然出てくる。まあ随筆とはそんなものであろう。

 ここで芥川が試合放棄を宣言していると言いたいわけではない。ただ惝怳と、そりゃあんただろうと思うのである。

長井代助の性格?


 それはつまりこういうことである。実は惚れこまれたという長井代助の性格なるものが芥川自身には明確に掴めていたようなのだが、私にはむしろ長井代助の性格などというものが曖昧で、その点、つまり夏目漱石作品の解釈という点において、芥川と私の間に溝があることが際確認できてしまったので、さて、どうしようかと迷うのである。

 話者によって代助には「生きたがる男」という性質が与えられている。あるいは「肉体に誇を置く男」でもある。しかし惚れこまれた性格とはその辺りのことではなかろう。

 恐らく麺麭の為に働くのではなく教養を積み、やりたくない仕事はしない。あるいは社会に抗しても、惚れた女は自分のものにする……大体この辺りのことを長井代助の性格と捉えて、そこに惚れているのではなかろうか。

 しかし、実際よく読んでみると代助の告白は近代的自我などというものではあり得ず、三千代の引力に無意識が反応して、ふわっと現れ、後で理屈が足されていることが解るはずだ。

 そして意思決定のシステムへの根源的な問いは『明暗』においてはさらに自由意志と非決定論の問題として捉えなおされている。

 私は芥川がそうした心や脳の問題に無関心だと責めているのではない。実は芥川にこそ意識の問題に関してはかなり深いところをえぐった先進的な作品があるのだ。

 この『お富の貞操』という作品における「解るということ」に関する解釈は極めて先進的で現代的である。その現代という意味も、まさに今更新されている現在であり、冗談でもなんでもなく脳科学の進歩によってさらに深くこの作品が読めるようになるのではないかと考えさえさせられる。その作者が『それから』の代助の告白の描き方の妙に気が付かないで、単に「性格」と言ってしまっていることが残念なのだ。このレベルの読みだとしたら、芥川は『道草』を単なる自伝的小説として読んだかもしれないし、

 あるいは『行人』の一郎が死んでいることにも気が付いていないかもしれない。

 あるいは一郎の年齢や彼が実子ではない可能性にも気が付いていないのではなかろうか。

 そういう書き方があることを知らない者なら仕方ない。しかし芥川は『あばばばば』では津波と妊娠期間を隠し、

 あるいは『一塊の土』では計算上で、寝たきりの仁太郎にお民を跨らせたではないか。

 寝たきりの良人に跨って子を成すという設定そのものが凄まじいが、それをそのまま書かないで、読者に計算させ、想像させる手際が素晴らしい。そんな計算をさせる書き手が一旦読む側に回ると、一郎の年齢を計算しないものだろうか?

 私はその可能性はかなり低いと思っている。その根拠が『彼』である。

 芥川は計算する作家である。だからこそ「長井代助の性格」などと簡単に括ってほしくはなかった。引力の問題を深堀してほしかった。

 いや、よく探せば深堀している証拠が見つかるはずだ。

 たまたま今日見つからなかっただけだ。

 明日探せば見つかるかもしれない。

 きつとそうだ。



三島由紀夫の事

 
 第二の長井代助を書いたとは言えないが、読者を大いに魅了したという意味では堀辰雄、太宰治が人気作家となった。この二人は芥川同様作品そのものよりも作者の方が人気があったというべきか。

 谷崎も「人気キャラクター」を作ったとは言えない。

 ただもし「長井代助」の「手近に住んでゐない、しかも何処かに住んでゐさうな性格」ということで考えると、そこに匹敵するのは三島由紀夫が『豊饒の海』で描いた松枝清顕、安永遥であるとは言えまいか。

 この二人も何をしでかすか解らないという意味では長井代助と肩を並べる。要するに確固たる近代的自我なんぞに支配されていないところが素晴らしい。

 三島が意志の出所の怪しいキャラクターを描くことができたのはフロイト式精神分析を嫌い、自分には無意識はないと嘯きながら、阿頼耶識という摩訶不思議な概念に辿り着いたからだ。行動心理学の罠にはまりながら、あくまでも自由意志で自己決定しているつもりの俺様と松枝清顕、安永遥は明らかに違う。

 漱石の引力理論はそう精緻なものではないが、自由意志による自己決定を疑わせたところで効果は十分である。

 しかしそのことにさえ気が付かないで近代的自我という人のいかに多いことか。そういう人はまず『お富の貞操』をきちんと読んで貰いたいものだ。


[小さな文学]

 ここにも書いたが、三島由紀夫は少年時代には芥川龍之介に強く惹かれながら、次第に遠ざかり、短篇小説の名手とは認めながらも、次第に大きな文学に向かい、最終的には反芥川小説を書くつもりが果たせずに終わった。

 三島は文学の理想を「ミナミゾウアザラシ」とも言っており、大きな作品を書きたかった。これには恐らく谷崎潤一郎の『細雪』の影響もあるだろう。「大きなものにぶつかりたい」と書いた芥川にしても、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』のようなものを書きたいと考えなかったわけもないが、結局は長編小説は書かなかった。

 しかしそもそも三島由紀夫も最初は短篇小説を書いていた。そして最後まで師事していた川端康成に掌の小説があることを考えると、三島にも当然「小さな文学」の素晴らしさは解っていた筈なのだ。

 極端な話をすれば俳句の価値を認めるかどうかだ。今読んでいる『美しい星』には既に俳句が二句でてきた。どうも「小さな文学」を捨てた感じがしない。『続芭蕉雑記』を読む限り、芥川は最後まで「小さな文学」に拘り続けた。三島にも老いて俳句を詠む未来があった。何も芥川に反旗を翻す必要なんてなかったんじゃないかなと惝怳と思う。



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