夏目漱石の『坑夫』をどう読むか③ 何かの参考になりはすまいか
台湾沖で難船した
前回も触れたが、どういう了見か漱石はこの『坑夫』という作品において、書かれている現在と書いている現在の距離を大きく空けようと努める。その距離は他の作品と比べても大きい。さらにここでは「台湾沖で難船した」などと、その後の主人公の人生が波乱万丈であることを具体的に匂わせる。これは漱石作品としても珍しいことではあるし、他にこれといって類似の手法が使われた事例を思い出せない。というのも、「台湾沖で難船した」ばかりではなく「ほとんど魂に愛想を尽かされて、非常な難義をした」わけなので、事件としてはかなり大きなものだからだ。そんなエピソードがさらりと挟み込まれて、そのままほったらかしにされるというのはきわめて無責任でもあり、エピローグのおさまりを悪くする。で、この後死にかけるんだよね、と考えてしまうと、どんな結末も「話の途中」になってしまいかねない。
このやり方はとりあえずこの主人公がまだ死なないことを意識させる。そのやり方がどんな効果を生むのか、まだ曖昧である。
上には上があるもんだ
その後に続く「これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う」は、
この「まだ奥があるんです」を思い出させる。この冒頭は、まだ山場もエンディングもない『明暗』に、これが結末かと思わせる一段落があり、さらにもう一つの盛り上がりがあるだろうことを推測させる。ここでも「これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う」は、おなじような「ふり」ではないかと感じてしまう。ただ実際にどうなるのかはまだ誰にもわからない。
何故ならまだ読んでいる途中だからだ。
※そう思ってみれば、ここに書かれている魂と肉体の乖離が、外科手術という生々しい形で『明暗』にも現れることに気が付く。 魂と肉体の乖離、それを気絶と呼ぶか失神と呼ぶか、そのことはさておき、夏目漱石作品において「眠り」以外の意識の消失はこの「ほとんど魂に愛想を尽かされて、非常な難義をした」という回顧と、津田由雄の手術にしか現れないことは注目してよいだろう。津田由雄の意識がない間も世界は外在し、お延がその観察者の役割を果たす。
十丁ばかり飛んで行った
一本筋の広い通りに出た瞬間に視界の開けた主人公の鈍い意識が十丁ばかり飛んで行く。ズームで山の翠に吸い寄せられる絵が浮かぶかのようだ。しかしこれもまた不思議なことなのだ。
主人公は敢えて、今今体験していることをリアルタイムに告白している訳ではなく、回顧の形式で後に「書いている」ことを強調していた。例えばこれが自分のことだとしたら、そこまで明瞭な記憶は過去にはない。ここまで繰り返し書いてきたように、この『坑夫』の主人公の意識の在り方、記憶の持ち方は私とは全く違う。そして私が知っている範囲の、通常の人の意識の在り方、記憶の持ち方でないものが書かれている。
何度も試してみたが、私が記憶しているのは自分が見ている角度の範囲内のことで、過去の一場面に臨場し、首の角度を変えることはできない。
つまり「かなつぼ眼」を見ることはできない。「どろんとしたわが眸」も見ることはできないのだ。
触れば触る事が出来る
この感覚も私の経験にはない。「できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸のなかに受けながら立っていた」とは一体どういう状態なのかと真剣に考えてみた。結果は、要するに分からない。似たような別の話にも思い当たらない。似たような、どころか、まずこの「できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失」という要約を拒む書きようが、まずは捉えがたい。言葉遊びではなく、本当にそのような心理状態があるのだろうか。
何かの参考になりはすまいか
どうやら漱石は大真面目のようだ。岩波はここに注を付け、
として、ウィリアム・ジェームズの『心理学原理』にある「異常妄想」を参照にしたものだとする。
いやもしもそうだとしたら、さすがに「何かの参考になりはすまいか」とは書かないだろう。それではまるで、二番煎じの知ったかぶりだ。また「この心持ちは起るとたちまち消えてしまった」という点からも、外界の刺激を受けてという点でも「異常妄想」とは異なるように思われる。
しかしここに「異常妄想」、あるいは「妄想性パーソナリティ障害」以外の名前を与えようとすると「躁状態」や「万能感(almighty feeling)」といった月並みな言葉しか浮かばない。前向きな錯覚ではあろう。そして一つの気分ではあろう。ただその気分に相応しい名前は見つからない。
あえて言えば村上春樹さんの『風の歌を聴け』の中で、鼠が奈良の古墳を見て感動する場面が似ていなくもない。そういうものにちかいものとしてドイツ語でBegeisterungという概念がある。似たようなと書いたが、本当は全然違うものなのかもしれない。
この気分は誰にでも現れるものではなかろう。
私はまだ一度もそんな気分に出会ったことがない。
[余談]
「台湾沖で難船した」は山で難儀した(坑夫になろうとして苦労した)と山と海で対になっていないか?
どうでもいい話だけど。
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