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お言葉が過ぎます 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む94

何故『豊饒の海』を書いたのか?


 平野啓一郎の『三島由紀夫論』の裏表紙にはこう書かれている。

 最後の作品『豊饒の海』で、なぜ三島は転生や唯識論を盛り込んだ、長大かつ難解な物語を書いたのか? そして楯の会とは何だったのか? —— 三島が命を絶った45歳に近づいた著者は、少年時代以来の疑問を解くべく、膨大な作品群と向き合い、その生と死の必然性を「テクストそのもの」の中から見出してゆく。 

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 これが全くの嘘であることはすでに説明した。平野啓一郎の『三島由紀夫論』は「その生と死の必然性を「テクストそのもの」の中から見出してゆ」かない。ここはそのまま読めば誠実さのかけらもないどうしようもない嘘宣伝である。
 それにしても何か救いようがあるのではないかと考えてみる。

 例えば「最後の作品『豊饒の海』」という表現には「結果的に最後の作品となった『豊饒の海』」というニュアンスが欠けており、三島由紀夫が最後の作品として「転生や唯識論を盛り込んだ、長大かつ難解な物語を書」こうと決断していたかのような表現になってしまっている。

 実際には『暁の寺』を書き終えた時点で次回作の計画があったのであって、当初から『豊饒の海』が最後の作品として計画されたものでないことは明らかだ。この点は平野啓一郎も参照した『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』で確認することができる。(平野啓一郎はこの本を読んでいる筈なので、こうした齟齬が生じることが不思議であり、また不快である。読者の三島誤解の一助になってしまっている。)

 それでも『天人五衰』執筆のどの時点かでは三島由紀夫にこれが最後の作品になるんだなという自覚が生まれていたことは確かであろうから、新潮社の宣伝文句はこう改めることはできる。

 結果的に最後の作品となった『豊饒の海』で、なぜ三島は転生や唯識論を盛り込んだ、長大かつ難解な物語を書いたのか?

 しかしこれは三島の死が転生や唯識論を意識したものであるかのような、疑問文に見せかけたミスリードなのでほぼ意味はない。

 結果的に最後の作品となった『豊饒の海』で、なぜ三島は長大かつ難解な物語を書いたのか?

 この問いには簡単な答えがあろう。

 三島由紀夫は理想の小説として「ミナミゾウアザラシ」と言っており、(そうした発言はないものの)おそらく谷崎潤一郎の『細雪』よりは嵩のある小説を書かねばならないと考えていた節がある。『細雪』は一例として私が勝手に挙げたまでで、そこは特に意識していなかったとして、世界文学、たとえばドストエフスキーに拮抗するような長大な作品は三島以前から、たとえば横光利一などの時代から多くの日本人作家の夢でもあったのだ。
 難解なのは三島由紀夫がひねくれているからで、今に始まった話ではない。

 そこは割とすっきりした話としてもう一度、

 何故『豊饒の海』を書いたのか?

 もう一度こう問い直した時、平野啓一郎の『三島由紀夫論』ではその答えが出せているだろうか?

 628ページの記述からは、

・「なにもないところ」に行きつくため

 というような解釈が浮かび上がる。もう少し抽象的に言えば、

・実相としての虚無を言葉によって実在させるため
・「なにもないところ」という否定によってむしろ何かがあるのだと示すため

 と、三島の行動とはさして関連付けず解釈することが出来ようか。素直に読めばそうなる。何もない庭と市ヶ谷のバルコニーはこじつけられておらず、本多も死んではいないのだから、『豊饒の海』の結末には三島の死の理由の種明かしはないと考えてよいだろう。

楯の会とは何だったのか?


 この問題には平野啓一郎の『三島由紀夫論』は殆ど踏み込んでおらず、「40 「一〇・二一国際反戦デー」以降の急進化」において、三島由紀夫作品とは無関係に伝記的記述となって語られている程度である。
 従って平野啓一郎の『三島由紀夫論』から、楯の会とは何だったのか? という問いの答を導き出すことはできない。

 三島由紀夫論、という大きすぎるタイトルならば、「楯の会とは何だったのか?」と問わねばならぬ、という感覚そのものは当然ではあるとして、結果として平野啓一郎の『三島由紀夫論』の中にないものが問われ、答えが出されたかのように書かれていることは誠によろしくない。

 そもそもこの問いは問いとして大きすぎる形式となっている。少なくとも「楯の会とは三島由紀夫にとって何だったのか?」と絞られるべきであり、その答えを三島の言動と結び付ければむしろ答えは、シンブルなもので「楯の会とは行動」である。そして三島由紀夫にとって「行動」とは最終的に「死」を意味するものであることから、楯の会とはもっとも小さな軍隊、祖国防衛隊、武器を持たない軍隊と様々に言われはするものの、結局は「死」、あるいは「死に場所」である。

 不思議なのは平野啓一郎が『奔馬』について語りながら、寧ろ注意深く楯の会のことについて言及しないようにしているように見えることである。無論勲の時代のクーデター計画の同志と、三島由紀夫の時代の楯の会では、おかれた環境も組織の目標もまるで違うものに見える。しかし『奔馬』が行動というものの難しさを問い詰めた作品であるとするならば、『暁の寺』の執筆時に頓挫した計画というものは、文学的には既に『奔馬』において思考実験されていたものである筈だ。ここに楯の会を当てはめてしまうともう三島由紀夫は死んでしまうので困るということか。


 

平野啓一郎は腹を切るのか?


 こう問うのは「三島が命を絶った45歳に近づいた著者は」と書いているからである。おそらく平野は死にはしないだろう。それは平野啓一郎に言行一致の姿勢がまるで見られないからである。どうも平野啓一郎の『三島由紀夫論』にはさしてふざけるつもりもないところで明らかにおかしなことが書かれており、誠実さに欠けるように思えなくもない。ただどうしても彼が善人であり、常識的な知識人であり、なによりも三島由紀夫と真面目に向き合おうとしたのだとしか思えないところもある。
 引用ミスやその他技術的な点に目を瞑れば、決して悪意はなく、ただ間違っただけだと考えられなくもないのだ。

 その意味でも、本書は、三島と私との長い長い対話の産物である。
 私は、作品への疑問については、出来るだけ全集に問いかけ、三島自身に答えてもらうように努めた。三島は、自作について多弁で、明快な解説を行った小説家だったので、好き勝手な解釈を一方的に押し付ける前に、まずは、彼自身の語るところを聞くというのが、本書の基本姿勢である。従って、必然的に引用が多くなった。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 いかにも真面目に感じられる。少なくともいきなり鉈で襲い掛かってくるような乱暴さは感じない。挨拶をすればちゃんと挨拶を返してくれそうな、そういう人の文章に見える。NHKの出口調査に「うんこしました」というような人間とは違う。
 しかしこれは何なのだ。

 出来事の順序が解りにくい小説というものは確かにあり、出来事の順序を解りにくく書く作家というものも確かにいる。例えば夏目漱石など一体何が起こったのかということさえ殆どの読者には理解できないように書くことが出来た。

 夏目漱石の『こころ』『行人』『三四郎』などはプロの作家でさえ殆ど読み間違えている。そういう作品と比べれば『春の雪』のストーリーそのもの、出来事の順序というものは寧ろ読み誤りにくいものだ。

 それほどわかりにくくもない筋を読みのプロが勘違いすることはある。しかし二回も読めばそれはなくなる。つまり平野啓一郎はショーン・Kなのか?

 言っていることは誠実に見えて、実は私は騙されているのか?

そもそも『三島由紀夫論』って


 江藤淳に『夏目漱石』という本がある。結果として現在江藤淳の漱石論については様々な誤りが確認されていて、彼がとても『夏目漱石』などという本を出せるような批評家ではなかったことが明らかになりつつある。
 残念ながら江藤淳には謙虚さが足りなかった。

 では改めて平野啓一郎の『三島由紀夫論』という題名はどうだろう。

 ここには平野の強い自信と思い入れがある。しかし謙虚さはない。平野はおそらく三島が「よわさ」を見せびらかすのを嫌ったように、当たり前の謙虚さに逃げることをしなかったのだろう。

 その心構えそのものはよい。そのくらいのつもりで書くことは良い。しかしその心構えを徹底していたらこんなことにはならない筈だ。

 ごく控えめに言って一事が万事なのだと思う。

 確認する。

 調べる。

 納得する。

 たいていの読み手にできることはそういうことだけなのだ。

 ・が要るか要らないか。

 ブラックホールは穴なのか天体なのか?

 特別養子縁組制度はいつから始まり、そうでない普通養子縁組制度において両親が朝鮮人で日本人の養子となった場合、在留資格は何になるのか。

 そういうことを一つ一つ丁寧に確認していくのが読むという行為なのではないか。

 そもそもある程度本を読んでいくと「人はなぜこうも書き誤るものなのか」という現実に驚かされるものだ。読めば読むだけ間違いが見つかる。

 完璧な校正はない。

 その程度のことが解っている誠実な人間なら、自作を何度も読み返して誤りがないか点検する人間なら『三島由紀夫論』などという題名は決して選ばないだろう。

[余談]

 今更ながら『仮面の告白』を巡る「異性愛」「同性愛」「ヘテロ」の議論は、確固たる性別の区分を前提としたやや旧式の考えに囚われているようにも思える。

 現代科学においては性差はグラデーションであるという「性スペクトラム」という考え方が主流で、100パーセントの男性と100パーセントの女性というと捉え方はされなくなってきている。
 これはおじいさんみたいなおばあちゃんが存在するという程度の意味で現実的な感覚と一致する考え方ではあるまいか。


[余談②]

 やや唐突ながら横光利一の「特攻精神は道徳精神」を拾えたので、平野啓一郎が「Ⅰ『仮面の告白』論 14 二つの戦争観」で触れている特攻隊への言及に関してこれを比較しておきたい。

僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅——すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの厖大な、モニュメンタールな、カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべかざる「近代」の超克ではなくてその殺傷(これは超克よりは一段と高い烈しい美しい意味で)だと思ひます。「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
             昭和二十年四月二十一日 

(「三谷信宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 まず三島の手紙は、少なくとも特攻隊、特攻精神というものに心動かされたこと、同じ日本人としてこの歴史の転換期に立っていることの静かな感動があったことを明らかにしている。

 この「近代」と「現代」の意味するところは今一つ明らかではないものの、ここで歴史の区切りが意識されている点は確かであろう。

 国粋主義者とみなされる横光利一が特攻精神を「最も崇高な道徳精神」と書いてみたことと「発足点をここに念じて、出発すべき」という言葉、そして三島由紀夫の「本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた」という概念は思想的背景を全く異にしながら奇妙な接近を見せていることに一旦驚いてみよう。

 横光利一はおそらく身を挺することの崇高さを言ったはずだ。しかしそれに対して戦後「お前は死なない立場からそんなことを言ったのだ」と非難されたかもしれない。

 三島由紀夫は本当の「われわれの時代」と言ってしまっている。十分に死ねる年齢なのに。しかしまた「日本の文化層」「近代の私生児であつた知識層」と言っているところが良く解らない。「きけわだつみの声」を否定するところと平仄が合わない。

 ただここに吉本隆明の共感を重ねてみると、あんな凄惨な虐殺は他にないと思いますよ、といった単純な話でもないように思えてくる。歴史の瞬間に立ち会った同時代人にしか解らない空気のようなものがあったのではないかと思えてくる。この辺りの話はいずれまた。

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